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2014/10/09

闘え、読売新聞(2)

前項からの続きです産経新聞のたわいもない内容の記事ごときで、記者が検察に名誉毀損の罪で起訴されました。朴槿恵大統領は、親子二代にわたる言論弾圧を行っている。こと言論の自由において、メディアが割れている時ではないんです。
朝日新聞の元社員に対する脅迫テロと、言論を守るべきマスコミ全体の問題として、1972年の読売新聞「別冊週刊読売」事件を取り上げています。
別冊週刊読売の北朝鮮礼賛問題は、韓国内で脅迫事件に発展します。朝日新聞出身者への脅迫と同じ構図です。1972年9月10日付の朝日新聞「爆弾仕掛けたと脅迫電話 ソウルの日航事務所」から引用します。
【ソウル9日=猪狩特派員】ソウルの航空当局筋が明らかにしたところによると、9日11時58分、ソウル金浦空港の日航事務所に、30歳前後の男の声で「きょう日本の飛行機に爆弾を仕掛けた」という脅迫電話がかかった。これを受けた現地女子職員の話だと、男はさらに「そこにいる日本人は死んでしまえ」と言い、約1分で電話を切った。男の言葉はソウルの標準語で、すぐ近くからかけているらしく、音声ははっきりしていたという。(中略)航空当局筋はこんどの脅迫電話は8日から騒がれだした「別冊週刊読売」事件に関するいやがらせの可能性が強いとみている。(引用おしまい)
 元朝日社員のいる大学を爆弾などの言葉で脅す人間は、彼もしくは彼女当人がもっとも忌むであろう韓国人、しかも40年以上前の「オクレた韓国人」と同じ行為をしているわけですね。恥を知りましょう。
言論の自由がある以上、民主主義国家であれば北朝鮮をほめたたえようが、韓国をクサそうが、社論はフリーなはずです。しかし、読売新聞社は残念ながら、韓国政府の理不尽な処置に屈服、金日成を絶賛したその筆を曲げてしまいます。
朝日縮刷版によれば、別冊週刊読売は回収、「おわび」を掲載した通常号も「わびが足りない」なる民団の抗議で発売中止にします。原四郎副社長、島元謙郎元ソウル特派員が訪韓、11月16日に金鐘泌首相、尹文化公報相に謝罪して、「日韓国民相互の理解増進のため、今後寄与する」旨を通告します。当時は日本人の多くが北朝鮮を楽園と誤解しており、韓国は翌年に金大中拉致事件を起こすような「独裁ならず者国家」だったのです。軍国主義の記憶が残る戦後30余年の我が国は、言論統制に今よりずっとナーバスだったでしょうから、対韓感情がさらに悪化したであろうことは容易に想像できます。
読売新聞社が韓国の怒りを解くには年月を要しました。1975年1月12日付の朝日新聞「読売新聞ソウル支局再開を許可 韓国当局が通知」から引用します。
【ソウル11日=時事】韓国の文化公報省は11日、読売新聞ソウル特派員に対し、9日付でソウル支局の再開設を許可すると通知した。同支局の再開は1年5カ月ぶり。読売新聞は73年8月、韓国政府から特派員の海外退去と支局閉鎖を命じられた。その後、昨年10月18日に特派員の常駐許可、11月5日には読売新聞の韓国内配布が解かれた。(引用おしまい)
言論の自由の大切さを身に染みて知っているはずの読売新聞は、朝日・産経の区別なく言論弾圧やテロに面と向かって闘うべきです。過去の経験を胸に卑劣なテロや弾圧と闘うことが、読売新聞に国民が寄せる期待であるのです。