笑い飯・哲夫さんは最近、テレビの全国放送でひと悶着あって、ネットでかなり叩かれました。おじさんも映像を見ましたが、哲夫さんが次第に変なお兄ちゃんみたいに扱われていく画がキツかった。笑い飯支持者の一人であるおじさんなりに思うところを述べ、哲夫さんを弁護しときます。
哲夫さんが坂上忍さんの悪口を言ったとの構図は、おそらく間違っています。哲夫さんの批判の矛先は、トーク・バラエティ全盛の東京の番組制作姿勢にあるのでしょう。
落語・漫才・コント・演劇等々、芸能人の芸能を画面から拝見する機会がどんどん減っています。それぞれがどんな芸能を持つが故にテレビに出ているのかではなく、服装の趣味や犬を飼っているか、どの店で食事をするのかを露出するのみに安住する態度、これに声を挙げた。しかし、それをカメラの前で直接言うわけにはいかない。そこでバラエティの申し子である坂上さんの名を借りて主張してみた。その論点がうまく伝わらず、結果グダグダになった。
笑い飯は正しい。そう断ずる根拠は面白いからです。一流の芸能を見せる力のある人間だから。我々が本来「芸能人」に求めるものはその一点にあります。今回はまあ、グダグダだったけどね。正しいものは正しい。
昔の娯楽メディアには権力を嗤う風刺のパワー、それを提供する志さえあったことがわかっています。1963年2月9日の朝日新聞「記者席」から引用します。
8日の政府・自民党の連絡会議で「近ごろのラジオ・テレビの漫才に、政府をどぎつく風刺するものがあるのはけしからん、と怒る者が党内に多い。少し調査してみたら…」という意見が党内から出た。しかしヘタに手を出せば“放送統制”と騒がれかねないし、といって党側の申し入れをソデにするわけにもいかず、で政府側は困り顔。板ばさみの黒金官房長官「まあ適当に、へえ、へえ、といっておきました」と記者会見でいったが、池田首相は連絡会議では笑ってきき流していたそうだ。(引用おしまい)当時はコロムビア・トップ・ライトを筆頭に、風刺を利かせた時局漫才が人気を博していました。2人は毎日、新聞4紙を読んでネタを練りスタジオに向かった。「お前らはアカか!」と抗議の電話があっても笑い飛ばした。制作側にもそれを許し、一緒に楽しむ度量があった。その芸は国民の政治への関心を高め、芸人の地位と人気とを高めたのです。桜井長一郎の田中角栄モノマネも好きだったなあ。
池田勇人、黒金泰美ら政治家もまだマトモです。反原発デモがうるさいから規制しろ、などと言い出す連中の矮小なる器は、ネタになりませんか。そうですか。
放送の意識改革などという大風呂敷は、広げるだけ無駄でしょうから置きます。笑い飯をはじめ芸能人の皆さんには、プロの芸能を磨いてその芸能たるを見せていただきたい。あなた方の飼い犬、バッグのブランド、愛車や家族のお手紙やビデオレターに関しては、楽屋でしゃべるなり見るなりすればよろしい。
楽屋話とかプライバシー情報とかばかりが年中垂れ流されて、肝心の芸がちゃんと茶の間に流れるのは正月だけという状態は異常ですよ。
大きなバッシングを浴びた哲夫さんの、小さなレジスタンスについて愚考してみました。
追記:笑い飯のライブには、出演者がトランポリンを飛び、高所に吊ったドラを鳴らすコーナーがありますが、床に保護マットを敷くぐらいの安全対策は考えられませんかね。劇場の観客を前にした芸人さんは、がんばり過ぎちゃうことがあるから。毎回ヒヤヒヤして、ここだけ笑えません。