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2014/08/26

大島渚が必要だ!

戦争法制だ!解釈改憲だ!ネットで大人気の安倍政権をテーマに討論番組を作れば、視聴率が上がるかもしれんぞ。公共放送も含めて、ここまでどこもロクな掘り下げ方をしていないからな。スポンサーも喜ぶぞ。
戦争賛成派は勇ましいのがそろっているが、問題は反体制を気取る連中の人選だ。「戦争はいけません」なんてぬかすだけの、腑抜けばかりがガン首そろえておる。サヨクどもはどうした?冷戦終結前のネバーランドに住んで昔話のファンタジーばかり口にしている? 使い物にならんな。
これでは画にならんではないか。視聴者が喜ばぬ。広告主様もご不満であろう。
理不尽な改憲反対とか叫んで感情むき出しで大暴れするようなのはいないのか? 映画監督に一人いたな。カメラの前で「馬鹿野郎!」と言い放つ老人だ。アレをスタジオに呼べ。大島渚だ!なぜ呼べんのだ?  このままではハト派の虐殺番組として放送倫理に触れるわ。

今日は、毎日新聞の西山太吉記者が、沖縄本土返還に伴う日米密約をスクープした結果、国家公務員法違反(教唆)容疑で逮捕された事件(西山事件)に伴い、大島監督が毎日新聞に寄せた一文を紹介します。1972年4月12日「衆院連合審査会を傍聴して 今こそスッパ抜きを」を引用します。
(前略)この人(注・佐藤栄作首相)が漏らした本音はいつも悪口を言われ、たたかれる。しかしそれがひとしきり終わったあと、私たちはこの人が漏らした本音のとおりに事態が進行しているのを見る。こうしたことが繰り返されてきたのである。
(中略)沖縄返還協定にからむ日米密約がバクロされた時、機密が漏れたという点にまず関心が行ったというのは、いかにもそうした佐藤首相らしい人間的反応であった。極端に言えば、この人間的反応に、日本中が引きずり回されたと言える。日米密約問題が外務省機密漏えい事件になり、さらに知る権利問題に転化していったのは、ひとえに佐藤首相の人間的反応がエスカレートした結果にほかならない。その間、機密保護法などということを言い出したりして佐藤首相は大いにたたかれ、西山記者も釈放されて、野党と言論の側が勝ち、佐藤首相は敗れたが如くに見えているが、私は事態は決してそんなに単純なものであるとは思わない。佐藤首相はこの一連の出来事のなかで、一層辛抱強く、機密保護、言論統制の意思を固めたであろうし、官僚機構はこの意を体してその準備を進めていると思う。結局、佐藤首相は、この過程のなかで、たたかれはしても自分の意図を明確にしただけ得をし、勝利をえたのである。
その点で私は佐藤首相の人間的反応につけ込む以外に政府を追及する力を持たない野党や言論を実にふがいないと思う。私が傍聴した審査会でも佐藤首相は実に明確に人間的反応を示していた。テレビで見たり新聞で読んだりしたのでは見のがしてしまうような一言々々が本人の口から出るのを聞くと、へんに生々しく私の心に刺さってくるのだった。たとえば「国家的機密の一部としての新聞」というような言葉「政府と新聞は基本的な立場では一致しているが、具体的なことでは新聞が偏向していることがある」というような言葉がサラーッ、サラーッと出てくるのである。あるいは開き直って「新聞が政府を検閲するのは断る」と言い切る。佐藤首相が新聞をどうあらしめたいか、はっきりしている。これをたたき、悪口を言うことは簡単である。しかし私たちが悪口を言い、それである程度満足している間に、この頼もしい親分を頭にいただく政府、官僚機構は着々と親分の意図どおりの体制をつくって行くのである。
こうしてつくられて来た体制のなかで、唯一の突破口が極秘文書のスッパ抜きというかたちであらわれて来たことは必然的である。それ以外に佐藤体制を揺すぶることは不可能というところまで事態は閉塞的だったのである。
(中略)再び問題をすりかえてはいけない。言論の自由というような抽象的な問題に立ち戻ってはいけない。佐藤首相の人間的反応にふりまわされてはいけない。問題はあくまで佐藤内閣が私たちに何をしたかだ。知る権利など自明のことだ。極秘資料のスッパ抜きに次ぐスッパ抜きを!今こそ日本中を、スッパ抜きした極秘資料でもってあふれかえさせること。極秘資料一つ入手できない政治家は政治家でないこと新聞記者は新聞記者でないことを確認しよう。(引用おしまい)
野党とメディアのふがいなさに怒るあまり、一気に書き上げたのでしょうね。同じ単語(「佐藤首相の人間的反応」など)が幾度も反復され、改行も極端に少なく、正直読みにくい。しかし、そんな些事を超えて、強烈な怒りの正論が伝わってくる「異文」です。しかも、感情の発露と対照的な、驚くほどの分析力が読み取れます。
「佐藤栄作」を「安倍晋三」に代えると、状況がそっくりなのです。護憲派や反戦派を自認する人たちは、中韓へのわかりやすい反応や原爆慰霊祭でのコピペなど、安倍さんの「人間的反応」に悪口を言い、たたきます。でも、実際は「私たちはこの人が漏らした本音のとおりに事態が進行しているのを見る」事例が続いているではありませんか。
大島渚は、特定秘密保護法案が人権問題から言論の自由にすり替えられ、集団安全保障が持ち出されたことで、集団的自衛権がそれよりマシだという変な空気の中、公明党も乗った形になったことまで予言していたかのようです。
野党やメディアの権力との闘い方も真理をひと言で突いています。スッパ抜きです。スクープです。暴露です。権力監視を生業とする人間たちの仕事の基本です。
2014年の夏、私たちには大島渚が必要です。いま、この国に大島渚がいないことが惜しまれてなりません。

問題をすりかえてはいけない。言論の自由というような抽象的な問題に立ち戻ってはいけない。安倍首相の人間的反応にふりまわされてはいけない。問題はあくまで安倍内閣が私たちに何をしたかだ。知る権利など自明のことだ。極秘資料のスッパ抜きに次ぐスッパ抜きを!今こそ日本中を、スッパ抜きした極秘資料でもってあふれかえさせること。極秘資料一つ入手できない政治家は政治家でない!新聞記者は新聞記者でない!