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2014/08/10

ある原爆症女性の死

ヒバクシャって何だろう?日本語には「被爆者」と「被曝者」があります。前者は原子爆弾自体の直接の攻撃を受けた人。後者は原爆の放射能汚染をこうむった人です。投下後に広島や長崎の市内に入って、放射能汚染にさらされた人たちは被曝者。被爆から生き残った人たちの多くは、被爆者であり被曝者でもあります。
放射能による健康被害が原爆症です。現在も原爆体験の語り部を続けながら戦争の恐ろしさ、愚かさを忘れさせまいとする皆さんは、心身ともに強い人たちなのでしょう。おじさんは尊敬しています。
でもね、世の中そんな強い人ばかりではありません。戦争は弱い人間の心を引き裂き、人生を徹底的に破壊します。体験を語ることもなく、みじめに一生を終えた人々の方が多かったのではないでしょうか。
1970年8月、原爆症に苦しむ40歳の女性が、大分県別府市で入水自殺しました。遺体は沖合の漁網に引っかかって見つかりました。
ひどい事例ですが、こうした無名のヒバクシャを紹介することも、戦争を考える一助になるかと思いました。
同月4日読売新聞夕刊「原爆症の女性自殺」を引用します。女性の氏名・住所はじめ一部の固有名詞は、おじさんの判断で省略しています。
長崎原爆忌を6日後に控えた4日未明、別府湾で原爆症の婦人が自殺した。
(中略)女性はマニラで生まれ、子供のとき長崎市の叔父の家で育てられた。長崎市内の純心女学校3年のとき爆心地近くで被爆、原爆症がひどくなったため、約1年間同市内の病院に通院した。昭和27年ごろ結婚したが、間もなく原爆症などが理由で離婚、その後熊本市など各地を転々として苦労を重ね、さる40年、別府市にきて食堂などで手伝いをして生活していた。
不運続きのため、同市では酒におぼれるようになっていたらしく、43年10月と昨年6月の2回、約1か月間同市の病院に軽度の精神錯乱のため入院していた。(引用おしまい)
放射能の影響が明らかになると、ヒバクシャ差別が発生しました。当時の空気はこんなものだったのでしょう。
反核運動の中心人物が亡くなると、新聞やテレビで取り上げられますね。そんな人たちと、だれに顧みられることなく別府湾に身を投げた女性に命に軽重がありますか?国葬にされた山本五十六と、南洋のどこかの島で餓死したまま遺骨すら戻ってこない二等兵の死に価値の違いがあるんですか?
戦争は差別を生みます。戦後25年のヒバクシャにもありました。来年の戦後70年でも何かしら残っているでしょう。以後も残り続けますよ。
また戦争をするのなら、この差別を再生産する覚悟でやりましょう。