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2014/08/31

戦後30年ぶりの玉音放送

1975年9月30日、昭和天皇と香淳皇后が初めてアメリカの土を踏みました。日米友好のほかに戦後の清算の意味合いもあったのでしょう。30年間も何やってたんだ、という批判も今では出てくるかもしれませんが、都合の悪い過去の後始末は何でも先送りにするのが、我々日本人の美徳です。
これに先立つ23日、米NBCテレビが昭和天皇の独占インタビューを放送します。ニュース映像など以外、会見という形で天皇の肉声がテレビ放送されるのは異例。戦後初の会見が、なぜ日本の局でなく米国の電波によるのか。どうやら、すでに多くの米国人はヒロヒトを知らず、訪米が盛り上がりに欠けると判断した政府や宮内庁が、NBCの申し出に乗ったようです。
NHKは短く編集した映像を国内のニュース番組で流しました。おじさんはこの映像を未見ですので、はっきりしたことは言えませんが、当時の報道のニュアンスから、昭和天皇は終戦については自らの意思であった旨を述べたものの、日米開戦に関しての戦争責任に関しては否定、もしくは言葉をにごしたようです。
同月24日の毎日新聞「その夜日本の茶の間では」で、敗戦後27年間、グアム島でジャングル生活を送った元日本兵横井庄一が、映像を見た感想を語っています。以下に引用します。
お年をとられたねえ。(在京外人記者との会見にふれ)陛下が戦争の決定権を持っていなかったというご発言は意外だ。わたしゃねえ、陛下の赤子として戦ったんですよ。それがねえ、軍部の命令だったなんて……。陛下もつらい立場があったんでしょうなあ。グアム島から帰って陛下にお返しした銃は軍に返すべきじゃった。(引用おしまい)
生き残った元皇軍兵たち全員の気持ちを代弁する、血のにじむがごとき言葉です。そうですね、皆「陛下の赤子」として戦地におもむき、腕や脚、あるいは人間の心、さらには生命を失ったのですね。
宮内庁による「昭和天皇実録」が完成したそうです。今度こそ、昭和天皇と戦争の真実を、広く国民と世界が知ることのできる資料たり得てほしいです。戦争責任、有るなら有る、無いなら無い。
戦後70年。もう先送りは許されません。