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2014/07/19

筒井康隆が嗤う集団的自衛権(2)

筒井康隆さんの鋭い筆峰には普遍性があります。イラクは、外国人を人質として攻撃目標施設に置きました。「人間の盾」と呼ばれました。そこも踏まえて、筒井さんは日本人を嗤います。
引き続き1991年1月1日の朝日新聞「コッカにカッコよさはいらない」から引用します。太字挿入はおじさんによります。
別段カッコよくアメリカに「NO」などと言う必要はなく、「そんなこと言いはったかてまだ人質がおりまんがな」と、カッコ悪くおろおろ声で泣くだけで何もしないでいた方がむしろ、商人国家としての日本、最近景気のいい商店街のおっさんとしての日本にふさわしい誇りの保ちかただったし、そういう国家の存在だって許され得る。まして海外派兵などとんでもないことだった。そんなことしなくても国際的に孤立するのは日本ではなく、当分は国際正義に反したイラクだろう。
敗戦によって国家威信も誇りも失った日本は、なりふりかまわず這いあがってきた。「戦後」が日本に最適の逆境だったからこその、現在の経済大国なのではなかろうか。その金で国際的地位や誇りを買うのではなく、国家存続のためにはコッカにカッコよさなど不必要であることを認識し、カッコ悪い国としての敗戦当時へ、もういちど帰還すべきではないか。
今の経済学者の悩みは、経済と文化をどう関係づけるかにあるという。日本人はよくユダヤ人と比較されるが、ユダヤ人にあって日本人から決定的に欠落しているのは「笑い」のセンスである。世界的喜劇人の大半はユダヤ人であり、これこそ彼らが「愛される理由」である。経済繁栄のおこぼれにあずかった筈の小市民までが国家の名誉や誇りを叫ぶのではなく、それら小市民のひとりひとりが、21世紀までのあと10年間に、たとえば国際的会議に出て、秀逸なジョークまじりのスピーチのひとつもこなせ、パーティで芸術や歴史を語れる程度のセンスを身につけるべきだろう。国家の名誉や誇りはあとからついてくる筈だ文化的教養のない「経済大国」などあり得ない。単なる「ゼニの国」だ。(引用おしまい)
 「カッコ悪い国」。カッコいい表現です。おろおろ声で泣いて何もしない国は、戦争で人を殺さないし、国民が殺されることもない。最近景気の悪い商店街のおっさんの誇りの保ち方。戦争で人を殺さない国こそ、世界一カッコいい国です。おろおろ声で泣く総理大臣を、おじさんは尊敬します。
筒井康隆、今年で80歳。戦争と敗戦後のみじめさを体験した世代です。彼が生きている間に、笑いのセンスある宰相がこの国に現れてくれたらいいのにな。英語みたいな言葉で「ばい・まい・あべのみくす」と言った総理大臣がいましたが、アレはジョークではありません。間もなくブラックジョークとして世界で嗤われるだろうと、おじさんは心配しています。笑犬楼よりの眺望ですね。