コピー禁止

2014/07/02

関東大震災、ある警察署長の死

1923年9月1日、関東地方を恐ろしい大地震が襲いました。関東大震災といいます。いろんな場所で大きな火災が起きて、大勢の人たちが死にました。
中でも、東京・本所にあった陸軍被服廠跡に避難した人たち3万人以上が焼死した事件は、震災最大の悲劇の一つとして語り継がれています。
これだけたくさんの市民を、被服廠跡に誘導したことについては、地元相生警察署にも責任がありました。少なからぬ署員も死亡しました。事件後、相生署長は現場で自決してしまいます。1923年9月14日「山内相生署長は責任感から自殺」を引用します。

本月1日の地震に次ぐ大火災で本所の陸軍被服廠跡に避難した本所区民3万余人が無惨にも焼死した悲報は当時記した通りであるが、同所を管轄する山内相生警察署は必死となつて避難者の処理に部下を督励し全員全力を挙げて努力したにも拘わらず(かかわらず)、遂に彼の未曽有の惨害を被つた上、署員15名も殉職し署長も累々と重なり斃れる(たおれる)避難者の死体を打ちながめて終に人力を以て如何ともすることができぬのと部下多数を惨死せしめた責任感に打たれ、同夜被服廠跡に斃死(へいし)した部下5、6名の傍らに自らも自己の剣を以て咽喉を突き痛ましい自殺を遂げてゐるのを翌朝になつて発見され警視庁直轄の某病院長が検屍した結果全く覚悟の自殺なることを確認した。(後略、引用おしまい)
自らの判断ミスによって死なせた部下たちの遺体の脇で自害。これが大正時代の警察官僚の身の処し方だったのでしょうか。自殺は何の解決にもならないし、山内署長の決意は、被害者と部下の魂の救済に何の役にも立っていません。
でも、3万人の市民と部下たちを死なせたことについての自責の念、トップとしての責任感が、痛いほど伝わってくるエピソードなのです。
集団的自衛権を行使して自衛官を死地に送ると決めた人たちに、どれほどの覚悟があるのでしょうか?自衛隊員が殺された時、市民の可能性もあるだれかを殺した時、どんな表情でどんな言葉を語り、政治家としての決断と清算の重さを受け入れられるのか。
何かしらルビのふられた官僚の作文でも読むのでしょうね。十日余りの煩悶の末に無言で逝った山内署長の心中が容易に察せられるのとは対照的です。