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2018/12/29

2018年のテレビは最低だった

「知ること」と「知らせること」

米国がベトナムでの戦争へ次第に介入の度を深めていた1960年代、この戦争を最初に“泥沼”と呼び、その理不尽さや汚さなどアメリカの過ち、政府に不都合な事実を次々とスクープした記者をクビにするよう、ジョン・F・ケネディ大統領はニューヨーク・タイムズの社長に幾度も迫り、そして断られました。
その記者、後に独立してからも数々の名ルポルタージュをものしたディビッド・ハルバースタムの名前を、国谷裕子さんの著書「キャスターという仕事」(岩波新書)の文中に見つけました。国谷さんの優れた番組の仕切り方(拙記事「クローズアップ現代への弔辞」参照)のルーツにハルバースタム流のアプローチがあったのか、と納得した次第です。ホワイトハウスから記者を守り通した新聞社と、永田町2丁目あたりからちょっと文句言われただけで長年の功労者をさっさとお払い箱にした放送局との権力への距離感の違いには、ため息が出るばかりですがね。
そのNHKで、10月に素晴らしい番組が放送されました。とはいっても、放送協会制作じゃありません。大阪・毎日放送(MBS)のドキュメンタリー「教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか~」です。歴史や道徳の教科書採択をめぐる闇にドロドロとうごめく気持ち悪い歴史修正主義者と、そいつらに翻弄される教育現場や教科書出版社の直面する現実を正面から見据えた快作でした。放送したのはBS1の「ザ・ベストテレビ2018」。たまには良い番組流すじゃないか、NHKも。
斉加尚代さんというディレクターがNHKのスタジオで語りました。伝えるために知る、知ったから伝える、だから知りたい、伝えたい。民主主義下のメディアの存在意義です。ハルバースタムだって、知ったことを全部知らせたゆえ、名ルポライターたりえました。
テーマがはっきりしたドキュメンタリーを見て感じるのは、国民の財産である電波の利用を付託された放送局には国民への義務がある、ということ。知ることは大事だし、知らせなければ情報にも放送媒体自身にも価値はない。「知る」ことと「知らせる」ことは不可分一体でなければいけません。
例えば、森友・加計問題。血のにじむような取材、火を吐くような記者会見での突っ込みが仮に行われていても、まったく放送しなければ、視聴者に知らせなければ電波の免許持ってる資格なんかありません。もしも、そんな放送局があるんだったらつぶれてしまえ。テレビの「放送」とネットの「通信」の存在意義の違いの一つは、知らせる義務の有無にあると言えます。
斉加尚代さんの名は覚えておこう。吉永春子、市岡康子、渡辺みどり、礒野恭子、堂本暁子、伊豆百合子、星野敏子らドキュメントプログラムの先人たちに続く名ブランドになるかもしれません。
NHKでは右田千代さんが良いですね。近現代史モノで見て得した、と思う番組によくクレジットされてます。女性ばかり褒めそやすのは差別になるのかもしれないけれど、昨今のスキャンダル報道からおもんぱかるに、どうやらテレビ業界はセクシャルな不祥事が日常茶飯のセクハラ魔窟みたいですからね。ハラスメント野郎どもが跳梁跋扈する劣悪な環境にあって、なお素晴らしい仕事をしようと努める女性たちにはエールを送っておきたい。

民放も不祥事まみれ

2018年は放送局が報道を捨てた俗悪化、広告媒体化がより顕著になった残念な1年になりました。
大きな天災が続いたんだけれど、それを別にしても、天気、かわいい動物にスポーツニュースばかりを見せられた印象が強い、ことなかれ報道の年。すべてのキー局で象徴的な事件が起きました。
まずはテレビ朝日。財務省事務次官による女性記者へのセクハラという最低最悪の一件が露呈しました。その後も、財務大臣をはじめとするお役所からは、女性記者へのセカンドレイプに匹敵する暴言、罵詈雑言が飛び出したのですが、なぜ電波を使って抗議・反論しなかったんだ? 「報道ステーション」の「熱盛」なんか非常時に放送して要らんだろうが。そんなもん1日2日くらい中止して、公然と、決然と社員を守れよな。視聴者にわかる形でセクハラに対抗するのも公的メディアの仕事です。報ステは、ベテラン社員やOBが驚き、失望したらしいスタジオ人事で士気が落ちたせいか、お天気・スポーツバラエティに成り下がって、まったく精彩がなくなってしまっているのが気がかりです。知ることと知らせることは不可分一体。
海外バラエティのやらせ問題に揺れた日本テレビは、とっくに倫理観メーターの針が振り切れています。放送中ならびに映画化したこども向けアニメグッズ、こどもの玩具として売られている「公安警察手帳」って何よ? 経営陣は、どんなアニメだか理解しているのでしょうか。判断力が未成熟な年齢層に警察国家教育を施すんですか? 背筋がうすら寒い歳末です。日テレ社員たちには、同局を一級の報道言論機関として輝かせていた牛山純一の仕事を見つめ直していただきたい。知ることと知らせることを隔てることなく実践した人です。
フジテレビは、外国人を敵視することで入国管理局をマンセーする国家行政お追従番組が批判を浴びました。台所が苦しいから、制作費がかからない安易な行政丸抱え番組に走るのは、貧すれば鈍すの典型例として理解できます。「警察24時」なんて権力依存番組を各局が垂れ流しているから、フジだけを批判する筋合いではありませんが、お国が知らせたいことのみが放送され、視聴者が知りたい事実は皆無のテレビ局のままでは、凋落は止まりますまい。
次はTBS。ある意味で今年もっとも看過できない放送事業の不祥事が表沙汰になりました。鹿児島県警の警察官が酔った市民を制圧・窒息死させた事件の現場映像を警察に押収されるがまま抗議も返還要求もせず放置、遺族の告訴に検察が映像の提出を拒否しても、知らんぷりを決め込んだことが明らかになりました。7月に毎日新聞の報道を読んだ時は、「まさか」と思いました。西日本の豪雨をほったらかして宴会をやった赤坂自民亭が問題になったさなか、TBSもまた“赤坂愚民亭”として恥をさらしました。映像を権力側の好きなように使用・不使用を決めていいのであれば、それは報道ではありません。取材が国民ではなく警察・検察の側に立つ「請負捜査」に当たるという考え方もあります。下請け会社が撮影したから関係ないなんて言い訳にもなりゃしないんです。全局右へ倣えで「警察24時」なんて、オカミへの尻尾振りコンテンツばっかり作ってきたせいで、メディア全体のリテラシーがぶっ壊れてるんですね。東京放送にとっての知ること、知らせたいこととは?
警察への密着・癒着プログラムにマヒしたテレビは、さらなる危険領域へ踏み込みます。テレビ東京は、11月にとうとう自衛隊の装備自慢バラエティを始めてしまいました。司会は吉本興業のエース博多華丸・大吉。娯楽カラーたっぷりに、制作費節約の自衛隊宣伝番組です。防衛費は年々ウナギ登り、戦闘機やミサイル防衛システムを米国からバカスカ買って、憲法違反の疑いもある戦略兵器である空母も保有すると言い出した防衛省のプロパガンダを、2時間の枠で全国に届けました。もはやテレビマンの仕事じゃありません。広告代理店です。広告にとって、「知ること」は不要なんですよ。「知らせること」と、その結果としてのおカネだけが大切。

視聴者はお客様

「知る・知らせるの不可分一体」を本稿が繰り返し強調するのは、その趣旨から外れた番組が視聴者にとって迷惑であるばかりでなく、国民にとって害毒でしかないからです。第一、知りたいとも思わない、知らせたいはずがない中身の番組を作っている当事者たちにとって、その仕事が面白いはずがない。
今日は、D・ハルバースタムとともに日米自動車戦争を扱ったドキュメンタリー・シリーズ「自動車」を作ったこともある、NHKのディレクター相田洋さんのインタビュー記事から、テレビ番組に関わる人間の姿勢と、私たち視聴者との関係について考えます。
1995年、コンピューター・ソフトウェアの歴史と現状を描いたNHKスペシャル「新・電子立国」が放送されます。パソコンの基本ソフト(OS)、家庭用ゲーム機、一般家庭に普及する以前のインターネットなどについて視聴者にわかりやすく知らせるため、相田ディレクターは自らテレビカメラの前に立ち、語りました。
同年11月13日付の朝日新聞夕刊「話題の仕事・人 相田洋さん」から引用します。
(前略)全編、三宅民夫アナとともにナビゲーター役で出演もしている。前作で好評だったための再登板だ。講談か漫才に近い語り口。必要とあれば、下着姿になってラジオ体操をしてみせる。
「お客さんが喜ぶことは何でもする」。番組づくりの姿勢だ。視聴者を「お客さん」と呼ぶ。ハリウッドの最新技術を平易に解説した初回の視聴率が16.2%。NHKスペシャルとしてはオウム、野茂(引用者注・野茂英雄。米プロ野球投手)に次ぐ今年3番目の数字を得た。難しいテーマを面白く見せることにかけて。右に出る者はいない。
秘けつは、まず自分が楽しむことだという。番組づくりが好きでたまらない。特に、編集はすべて自分で行う。最高責任者自ら機械をいじるのはまれだが、昨年9月から編集室にこもり、約6百時間に及ぶ映像素材を整理して大腸を作るところから手掛けた。
「自分でやっちゃうと1人よがりになる危険が強い。だから新人の意見も圧殺せずによく聞きます。だれかが疑問を抱く部分は必ずどこかに欠陥がある」(引用おしまい)
相田さんが「お客さん」と呼んだ視聴者への創意工夫の意識が、警察密着や自衛隊、入国管理局の広報番組に生まれる余地があるでしょうか? 東南アジアの国にカネづくで作り上げた虚構の伝統行事を1人よがり(それとも総意?)に茶の間に放り投げる欠陥に、疑問を抱くテレビマンはいないのですか?

ハルバースタムの予言

1993年、日本のテレビ放送40周年に際し、来日したディビッド・ハルバースタムは、講演で日本のテレビ業界人へ語りかけました。
「株式上場をして、創業家より一般投資家の株主が増えていくにつれ、資本家の論理に従ってテレビは劣化する」
その後、我が国の放送局は次々と株を公開、ハルバースタムの言の通り、堕落を続けているように見えます。我が国のテレビジョンは当事者たちが気づかぬまま、じくじくと腐敗していくのでしょうか。
いやいや、人材はいます。ここでは斉加尚代、右田千代の名前を挙げました。放送業界の根腐れをくい止めて、立派なテレビを構築する思いを持つ人は、他にもたくさんいるはずです。私たち一般視聴者が知らないだけ。
今年のテレビジョンは最低でした。名を挙げた彼女たち、まだ名を知られぬ彼らが、2019年を手始めに瓦解寸前のテレビを立て直してくれますように。