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2017/11/20

「シン・ゴジラ」と岡本喜八を淀川長冶風に語る

(注意)映画「シン・ゴジラ」のネタバレを含みます。

安倍晋三も福島瑞穂も大絶賛

はい、皆さんこんばんは。
「日曜洋画劇場」テレビ朝日系で「シン・ゴジラ」放送しました。すごかったですねえ、こわかったですねえ。
ゴジラ、全然こわくない? カッコいい?
いえ、私がこわい言うてるのは、映画の中身ですね、テーマですね。
私もロードショーで見ました。ゴジラ咆哮のタイミング、絶好の場面で流れる伊福部昭の「怪獣大戦争マーチ」が、昭和の怪獣映画好きな人の心をわしづかみにします。伊福部昭いう人は、東宝怪獣映画に欠かせない音楽家でした。日本怪獣ムービーの復権を果たした記念碑的作品だった平成ガメラにかかわった監督さんですから、見せどころをよくわかっていますねえ。
それでも作品世界に入り込めません。セリフがとにかく早口、早口、早口。脇役の人名や自衛隊の武器の文字情報が次から次から次に出てきます。見ている間、観客に考えるな、考えるな、いう演出なんですね。思考力を奪われて、何だかこわいですね。ちゃんと、ちゃんと頭が回らないうちに映画終わりました。
そしたら、こちらが混乱している間に、「政治家の責任の取り方は進退だが、今は辞めるわけにいかない」なんてダイアローグがあるせいか、安部晋三首相が絶賛。社民党の参院議員・福島瑞穂さんまで「政府と自衛隊全面協力の反原発映画」(週刊金曜日)だと、ほめちぎってました。この2人が肩を並べての高評価ですから、幅広いも何も、広すぎる層にアピールして大ヒットです。おかしいですね、おかしいですね。
ゴジラの正体が見えないと、もやもやするんですね、イライラするんですねえ。それで、「シン・ゴジラ」、テレビで再見しました。

日本人バンザイ映画

二度見したらねえ。この脚本、穴だらけでした。複雑怪奇なゴジラの体内組成図を脈絡なき思いつきで折り紙にしたらナゾが解けたとか、第三国との外交交渉の必要が出てくると突然登場人物にコネのある人がいるとかのご都合展開、数え上げたらキリがありません。そんな疑問を観客に想起させないための早口セリフと文字情報の氾濫だったんですか。不思議ですねえ、不可解ですねえ。
後半はだんだん、だんだん剣呑になりますねえ。米軍を中心とする国連軍が東京に熱核爆弾を落とすことになりました。こわいですねえ。被爆国ニッポンの観客不安です、恐怖です。
そしたらあなた、アメリカの忠犬だった日本が飼い主の手を噛んで独自外交。カッコいいですね、全力の愛国心ですね。そこへ核攻撃決めて準備を進めてるはずの米軍主力の中から、ニッポン行政組織への協力志願する米兵が、たくさんたくさん出てきます。大量反逆罪です。米軍が事実上、日本政府の隷下に入って、1機数億円はする無人攻撃機を全滅覚悟の消耗戦にどんどんどんどん投入して、核攻撃決めてる本隊の意向を無視して海軍のイージス艦までもが怪獣相手にミサイル発射ですねえ。こうして、日本人は東京を救い、同胞を助け、超大国相手でも対等に交渉できる能力を証明しました。
はい、「シン・ゴジラ」は、日本人はまだまだやれる、力強い大和魂、ギリギリの状況下ではたくましい我ら等々の精神を前面に打ち出した、民族意識に訴えかけ、それをあおり立てる作品でした。すごいですねえ、パワフルですねえ、こわいですねえ。
作家側のプランではないでしょうねえ。おそらく東宝という大資本がヒットさせるために譲らなかった観客への国威発揚が「シン・ゴジラ」の芯。さすがですねえ。

不似合いな岡本喜八の“出演”

「シン・ゴジラ」には、映画監督の岡本喜八が、“出演”しています。12年前に他界した岡本は、ゴジラの研究者の役で写真のみがスクリーンに映し出されます。
変ですねえ、おかしいですねえ。岡本喜八ほど、資本の論理に屈して映画を撮ることに抵抗したインディペンデント(独立)映画の親玉的人物の存在は、大入りのためなら民族のプライドをくすぐってでも劇場に客を呼ぶ、ネオリベ話題作とはあまりにもかけ離れていますねえ。
独立映画とは、作家の意思を反映させるために商業資本の介入を極力避けるプロダクション主導の作品です。他には山本薩夫、大島渚なんかがそうです。新藤兼人は「企画から配給、上映までを作家が主導するのが本道」だと言ってました。
岡本も、映画で言いたいことを言うために、東宝系列のアートシアターギルドという会社と制作費折半で映画を作りました。メガホンを取る度に、川崎市多摩区の自宅は借金の担保になっていたそうです。
そのエネルギーの根っこは、駐軍していた愛知県での戦争体験にあります。1975年1月16日付の朝日新聞「辛口時代 9」より引用します。
(前略)B29から投下された250キロ爆弾が、岡本の所属する1個分隊を直撃した。血の海の中で、叫ぶ声がした。1人の候補生が、地べたに大あぐらをかき、クビを押さえている。爆弾の破片が、けい動脈を切断していた。映画・椿三十郎のシーンにあるように、血が噴きあがっていた。両手で押さえた岡本の手のひらから、血があふれた。死。
このとき、15人が即死。生き残ったのは3人だけだった。岡本も胸に、破片をうけた。かけつけた衛生兵に「盲管」と、申告した。が、破片は下着の中をすべって、ヘソの近くに落ちていた。岡本の顔に、ビンタがとんだ。
岡本の青春時代は、つねに死と向かいあっていた。満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争。確かな死への道、だれもが死ぬことの意味を考えた。
「いつも自分の寿命を計算していた。日中戦争のころは、うまくいって23歳。それが、しまいには21歳になった。忠君愛国、滅私奉公といった美辞麗句のためには、とても死ぬ気になれなかった。入隊の前夜、片思いだと思っていた女性から、千人針を贈られた。ぼくは彼女を祖国に仕立て、死のよりどころにした」
復員後、生まれ故郷、鳥取・米子商養蚕中学の同級生25人の死を知った。全員、レイテに向かう輸送船に乗っていた。「ぼくは田舎に帰ってもつまらない。鼻ったれ仲間がいないから」。生き残りのうしろめたさ、責任を背に、「戦争」に立ち向かった(脚本家・井出雅人)。「独立愚連隊」「日本の一番長い日(ママ)」「肉弾」「沖縄決戦」。一連の戦争作品。
なぜ「戦争」が起きたのか。「それをほじくり出したい」。今度の大戦で、200万の兵士と300万の一般人が、なぜ死ななければならなかったのか。「その意味を追求したい」。怨念(おんねん)に似た、「戦争」への告発。アートシアターとの提携作「肉弾」では、700万円の借金を背負い込んだ。返済に、4年かかった。話題作だったが、岡本は、満足しない。
現在の平和と繁栄は、戦士した若者によって築かれたものだ。だから、いまの若者よしっかりしろ、式のモラルにはくみしない。「昭和20年の男子の平均寿命は、46.9歳なんですよ。いま500円、1000円札に明治のエライ人が生きている。これは、いったい、なにを意味しているんでしょう。そんなモラル論は、庶民の側からいうべき言葉で、エライ人がいうべきことじゃない」。
50歳。映画界(東宝)に入ってから30年目。そして、近く公開される喜八プロダクション・ATG(アートシアター)提携作品「吶喊(とっかん)」は、映画監督になって30本目の作品になる。一つのフシを迎えた、戦中派の執念。またまたの借金、900万円。
「そりゃ、ひとさまの金でやる方が楽ですよ。でも、借金したからって、悲壮感もないし、別に壮挙だとも思っていない。バカ、狂人呼ばわりをする人もいるが、ぼくは『吶喊』で、100年前の『肉弾』を表現したつもりです。御維新前夜、官軍の弾がとび交う中でのセックス、戦争は上のヤツが考えたことで、オレたちはしぶとく生きている、といった庶民のエネルギーをぶつけたかった。それが戦争責任の追及にもつながる」
岡本は去年から、英語の勉強を始めた。週5日、都心の英語塾に通う。中学3年程度のクラス。先生に指されないかと、胸をドキドキさせる。岡本は、戦争で奪われた青春を、教室で取り戻そうとしている。(引用おしまい)
憲法は表現の自由を保障しています。だから、「シン・ゴジラ」が映画市場にあっても良いですよ。資本主義下での産業の活発化は、望ましいことです。作品の受け手、観客側のリテラシーがしっかりすれば、より望ましくもステキな映画界になりますねえ。
けれど、「シン・ゴジラ」や、監督さんの作家性をヒットするよう薄めたから成功したと、資本側のプロデューサーが公言する「君の名は。」みたいに、お客を無知蒙昧の輩だとばかりに、作品の中にムダ承知の情報をたくさんたくさん投入することで、集客を図る映画が幅を利かせるのはつらいですねえ、しんどいですねえ。岡本喜八、もういません。新藤兼人も大島渚も、ATGもこの国に存在しません。
それでも希望はあります。私、泣いて、ほめて、ほめて、ほめ倒した傑作「この世界の片隅に」は、インターネットのクラウドファンディングで小口の投資を集めて作りたいものを作り、成功しましたねえ。新しい独立プロ映画のあり方です。
「シン・ゴジラ」の劇中、岡本の役だった研究者のメモとして、「私は好きにやった。君らも好きにしろ」というのがありました。好きに映画を作りたいのに、資本に屈した制作スタッフたちの自虐ネタだったかもしれません。優れた映画作家たちが、自腹を切ってでも自由な次回作を世に問うてくれれば、映画ファンの楽しみも倍増すると思いますよ。
それでは、そんな日を待ちながら、さよなら、さよなら、さよなら。