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2017/10/22

NHK記者を殺した時代にさよなら

過労死は会社でなく社会の問題

NHKの女性記者が過労死、放送局が長期間にわたり伏せていた一件には、衝撃と怒りを覚えました。
親御さんや彼女の婚約者の心痛は察するに余りありますし、普通なら世間には収めておきたいであろう愛嬢の死に直面しつつも、局に発表を促す決断をされたご両親には頭が下がります。
最大の問題は、NHKが長らく発表しなかったこと。法令違反のブラック企業を糾弾するマスメディアの態度ではありませんよ。労災認定が下りた時点で公表、あたら若い命を今後みだりに散らすことのないよう、知りうるすべてを明らかにし、このような社会を改める旨、率先して態度で示すのがお前らの仕事じゃないのか。職員の過労とパワハラによる自殺を招いた電通を、「ニュースウォッチ9」や「時論公論」で散々非難してきたじゃないか。Eテレでも過労死問題へのご託宣を大量に流していただろうが。報道されたご両親の話によれば、記者の死は局内でも伝えられなかったといいますから、知らなかったとすればこれらにかかわったキャスターや解説委員たちも被害者です。同時に視聴者に対する加害者にもされているのですが。
東京都渋谷区神南は、代々木の森を跋扈するコウモリどもが幅を利かせる鳥なき里だと、今回の件でよくわかりました。上意が十分に下達されない、下意は上層に無視される。日産自動車の不正検査問題とよく似た構図ですね。ほかにもタカタ、スズキ、東洋ゴム、三菱自動車、東芝に神戸製鋼、そして東京電力。思いつくままに指を折るだけでも、産業立国の倫理崩壊を痛感する平成の世の末。何がモノづくり大国だ、ボロボロじゃないか。
このザマです。個々の企業・組織ばらばらに問題を収れんしちゃ、本質を見誤るわ。こんな社会になってしまった歴史を注視して俯瞰的に物事を考えてみようというのが、今日のお話です。

労働者を壊した「平成」

戦後からの我が国の労働史を粗々に振り返ります。
日本が戦争に負けた時、労働者に人権はありませんでした。すべては聖戦完遂名目による国家総動員法というふざけた法律によって、滅私奉公を強いられていたからです。
敗戦後、労働組合法や労働基準法といった人権保障の精神に基づく法律が整備され、1日8時間労働の概念が持ち込まれます。国鉄が雇用倍増を宣言するなど、焼け野原でマトモな仕事がなかった国土に労働環境整備の芽がのぞきました。
1950年に朝鮮戦争が始まると、その特需で労働需要は爆発的に伸張。一方、好景気の中で米国から機械化・オートメーションの考え方が輸入され、「オートメ化」が流行語になりますが、それはまだヒトの労働をメカが奪うものではなく、労働者の負担を軽くする省力アイテムとして歓迎されていました。
1960年代、国内インフラ整備も進んで、国民の生活水準向上が明らかになりました。労働者階級もクルマを買える時代です。1920年代後半以降の米国でヘンリー・フォードが自社工場の職工でも自分が造った自動車の購入層になれるだけの給与を支払うことで誕生した中産階級が、やっと東洋の島国にも現れたのでした。
高度成長期が終焉を迎えた1970年代に入っても、大企業が大規模な人員削減を行うことはまれでした。多くの正社員を抱える「マンモス企業」、彼らを収容する「ジャンボ社屋」。大きいことはいいことだの価値観があって、多数の社員を雇うことが経営者のステイタスだったからです。
1980年代半ば以降のバブル期は、会社がもうけた利益を社員に還元した最後の時代でした。年端もいかない若僧会社員が高級外車を乗り回し、BMWが「六本木のカローラ」と揶揄された、日本経済おそらく最後の狂い咲き。国際協調でドルを安くする決定がなされたため、円を海外に出さず、国内で投資・運用する方向でしたから、おカネが全国でガンガン回っていました。土地に入れ込みすぎたために弾けちゃいましたけどね。
バブルがしぼんだのは、平成に入ってすぐのことです。多額の不良債権を抱えた企業は、社員の雇用数・福祉などの環境に手を突っ込みはじめました。「社員のクビは、よう切りませんわ」と語ったと伝えられる“経営の神様”が創業者の会社で、追い出し部屋なる座敷牢同然のパワハラ退職施設に社員が収容されていた報道は、まだまだ記憶に新しいです。小泉純一郎内閣が製造業への派遣業務を認めた時点で労働者軽視の潮流は津波のように、働く人たちを押し流します。企業にとっての人材が、工業機械や包装紙等のような生産財と同じ扱いになった決定的な出来事でした。

「嫌なら辞めろ」の傲慢

1999年3月に象徴的な事件が起きました。数千人規模のリストラを実行したブリヂストンの元社員が社長室に立てこもり、割腹自殺をして果てた一件です。彼が残した会社への抗議文には、激烈な言葉がつづられています。
「嫌なら辞めろと言う会社のやり方は、永年ブリヂストンを支えてきた人たちに対する仕打ちとして許されるものではない。それを管理職の諸氏は子羊のごとく無抵抗に受け入れているのです。従業員をごみくずのごとく扱う経営者の感覚に一致団結し抵抗すべきである」
この人間を機械や包装ラップ程度にしか扱わない傲慢が表出した「嫌なら辞めろ」こそ、弱者排斥の時代であり続けた平成のキーワードたる一言ではないでしょうか。
巷には、役員や上司が「嫌なら辞めて結構」との言葉をヒラに投げつける、ブラック企業と呼ばれる会社がゴマンと存在します。悲しむべきことに、その多くはだれもが名を知る大企業で、従業員への搾取によって利益を得て大企業たりえています。
インターネットに目をつけた通販会社等の中には、接客マージンを節約することで収益を挙げているところも少くありません。それをマネて省力化を少人化と勘違いして、濡れ手で粟を夢見るバカな経営者・役員は、単純に労働者数を切り詰めることが賢者の経営だとばかりに人材を軽く扱う。
どの新聞だか忘れましたけど、「嫌なら辞めろ」が、不景気で会社への依存を強めざるを得ない社員へのパワハラであるというような説を、大学の先生が断じていました。福井県池田町の中学生が自殺した事件でも、担任が「お前(学校を)辞めていいよ」と言い放ったと報道されています。人権軽視の辞めろコールは、会社組織のみならず教育現場にも浸透しています。平成期の暗黒面を表す言葉は「嫌なら辞めろ」に集約されると思いませんか。
この言葉はなるほど、労働者を守るシステムが未整備だった戦前に見ることができます。
関東大震災で甚大な被害をこうむった東京市電は、震災後のバスやタクシーとの競争のため利用者が激減。世界恐慌の直撃もあって、鉄道省の官僚だった筧正太郎を天下りの電気局長に迎えて、一大リストラを敢行しました。労働組合はあらがい、賞与減額やアルバイト職員・臨時技工の解雇に反対しますが、筧は取り合いません。
新聞記者にリストラ断行の遂行を宣言した、1930年4月13日付の東京朝日新聞「これで不足なら辞めてもらふだけ 筧電気局長語る」から引用します。
電気局財政の困難は幾度も説明してあるのだから従業員も諒解してもらはねばならぬ。去る5日の大整理でも技師、主事級は定員の2割5分、技手事務員は1割雇員は5分の整理をよぎなくした。賞与についても職員は2割減、雇員は1割5分減であって従業員の1割減は当然である。従業員の収入は他に比して非常によく雇員平均70円、事務員平均97円に対し従業員の平均は102円であって決して悪い待遇でない。この待遇状態で不足なら自発的に辞めてもらふほかないのである。今回の問題で組合側が無理押しをしようとして怠業(注・ストライキ)やその他不穏の行動をとるなら当局は断然たる処置に出るつもりである。(引用おしまい)
関東大震災を東日本大震災に、世界恐慌をリーマンショックに当てはめてみると、よく似た状況に見えます。「ウチの会社はよそより待遇がいいから我慢しろ」というセリフもままある常套句。流通業界のある社長が言ったの聞いたことがあります。感情丸出しタイプのアンポンタンにしか見えませんでした。
景気はさらに悪くなる可能性だってあります。世界経済の動向を握るのはアメリカ合衆国ですが、貧乏人でも担保なく高級車を購入できる自動車サブプライムローンひとつ取っても不安は残ります。政治にド素人のドナルド・トランプ大統領に、緊急時の経済運営がこなせるとも思えません。筧正太郎のような経営者がますます増殖していくかもしれないんです。若いみんなも一緒になって、そろそろ止めなきゃいけません。

殺されないために選挙に行こう

上記の労働史からわかるように、平成の労働環境破壊の元凶は、こんな社会をこしらえた上流気取りの連中です。政官財が一致して経営者、強者の論理を優先した施策を続けた結果でした。こんなバカげた世の中は、平成で終わりにしたいものです。
今日は総選挙の投票日。18歳から選挙権が行使できる初めての衆院選になります。
もう働いている若者も、もうすぐ社会に出る学生さんも、政党や候補者の主張や人柄を判断した上で投票所に行って下さい。あなたたちの未来を変えましょう、あなた自身を守るために。
第二第三のNHK記者や電通社員、そして新たな筧正太郎を生まないためにも。