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2017/04/23

丸山真男から見るNHK、井上ひさしから読む朝日新聞

「政府のための報道」なのに

NHK「ニュースウォッチ9」で放送した日中両国の国旗の配置がけしからんと、自民党の副大臣らが激怒、放送局を攻撃しております。
政権与党のためにニュースを取捨選択。内閣支持率が上がるよう、さらには憲法改正を望む人がたくさんいるよう見せるために世論調査の設問の文言をひねり回し、サンプルの分母も小さくして、これ以上ないほど努めてきたのに、この仕打ちです。かわいそうな公共放送。
犬に例えるなら、尻尾を振るだけ振り倒し、寝転んで腹部をさらして恭順の意を示してきたというのに、その無防備な腹を主人に蹴りまくられた状態ですね。問題にされた自衛隊機の対中スクランブル頻発の報道だって、もとはと言えば外敵の危機をあおる永田町向けのサービス。防空識別圏の多くが重複する国同士であれば、そうそう珍しいことではないでしょう。
自民党議員の思い上がった態度は論外とはいえ、放送局にまったく非がないのか、と問われれば、疑問符が付きます。民主主義国家にあって、放送局に付与された報道する権利を放棄してしまったツケではないですか。
丸山真男に「『である』ことと『する』こと」という有名な一文があります。憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」を挙げ、主権者である国民が、自由と権利をたゆまず主張せねばならぬ大切さを私たちに求めています。
(前略)つまり、この憲法の規定を若干読みかえしてみますと、「国民は今や主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ。」という警告になっているわけなのです。これは大げさな威嚇でもなければ、空疎な説教でもありません。それこそナポレオン3世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程が指し示している歴史的教訓にほかならないのです。(同文より引用おしまい)
丸山が指摘した憲法の規定をNHK的に若干読みかえしてみましょう。「放送局は今や報道者となった、しかし報道者であることに安住して、その監視する権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや報道者でなくなっているといった事態が起こっているぞ。」という現実になっているわけなのです、これは大げさな威嚇でもなければ、空疎な説教でもありません。それこそ天皇の統帥権侵犯クーデターとも言える満州事変以来、集団的自衛権の憲法蹂躙に至るまで、最近80余年の腰抜けた道程が指し示している放送的教訓にほかなりません。

戦前の検閲基準

戦前の内閣情報局による冊子「大東亜戦争放送しるべ」で定められた当時の検閲基準をNHK編集の書籍「日本放送史」に見ることができます。
現在国民にとって放送適当なりや否や(国民に知らせるべきでないニュースは伝えてはならない。政府与党に不利益な国会中継などは放送しない)
日本的・枢軸的観点にありや否や(日本放送協会が伝えるニュースは日本政府与党的観点に立脚すると同時に、同盟国である米国にとって不利であってはならない。客観的観点にある報道はシリア・北朝鮮等の謀略宣伝がニュースの仮面をかぶっている場合が多く、排撃さるべきものである)
政府に協力的なりや否や(国民世論決定の上に多大な力を持つニュースは、あくまで政府に協力的、推進的でなければならぬ。内閣支持率・憲法改正にかかわる世論調査の設問、サンプル数の決定等においても配慮欠くべからず)
敵に逆用されるおそれなきや否や(我に不利な報道はもちろん、敵の好んで逆用するような報道は避けねばならぬ。首相夫人付官僚の予算裏情報FAX、総合テレビでの原発事故詳報、共謀罪構成要件の具体例などがこれにあたる)

情報局なんてとっくになくなっているのに、何をどこに義理立てしてるんでしょうか?
現在、近未来の国民生活を左右する大事といえば共謀罪の国会審議です。実際に犯罪に手を染める「正犯」でないと罰せられない、憲法で保障された主権者の権利が、行政の判断で処罰されるという、現行の法体系を根本から変える大問題。テレビからはたまに担当大臣、副大臣、官僚の言うことが違う旨が流れてきますが、法案の全容が伝わってこないから、国民は何がなんだか理解できない。共謀罪が成立したらテレビ局なんか最初に手足を縛られそうなんですけど。

朝日新聞の「伝言ゲーム」

共謀罪の論議は、新聞でもほとんど盛り上がっていません。法律に対する独自の想像力が読者に届いていません。
図書館で1958年秋の縮刷版を開いてみました。岸信介内閣による警察官職務執行法改正問題が日本中を席巻した時です。同法案は、警察官の権限を拡大し、令状なしでの身体検査、保護名目の留置ができるようにするというものでした。国民的反対運動が巻き起こり、つぶれた法案ですが、戦前を知る社員も多かった毎日・朝日などの新聞が行った論点の整理、理論立てられた反対のキャンペーンからは、命がけの思いが伝わってきて、約60年後に縮刷版に目を通す読者の胸をなお熱くするものです。今の新聞は何やっとんじゃ、って話になるんですが、活字メディアの方も放送局同様の萎縮かいな。そのうち何かの事件で調査報道チームを作ったら共謀罪で引っ張られるぞ。
そうした疑念を抱かせる妙な記事を、昨年の朝日新聞で見かけました。気になる記事をスクラップするのは、皆さんよくやるでしょうけど、何か理解できない気持ち悪さから切り抜いたものです。2016年1月27日付の同紙「ポーランド 守るべき民主化の精神」から引用します。
(前略)ポーランドでいま、司法と報道の操作を狙う政府の介入が目立つ。昨秋に発足した保守強硬派のシドゥウオ政権による露骨な法改正や人事である。
(中略)新政権は憲法裁判所の制度を変え、違憲判断を出しにくくした。司法の監視機能を骨抜きにするためだといわれる。
テレビとラジオの公共放送の人事を政府が握るように法律も変え、政権寄りの人物をトップに据えた。政府に批判的な記者は次々と解雇された。
国内では抗議デモが起きているが、政権は意に介そうとしない。独断でさまざまな制度の変更を進める構えだ。
(中略)しかし、議論や説得を省き、効率よく統治しようとする乱暴な政治は、安定した社会をもたらさない。民主主義とは本来、面倒で煩雑なものであり、その手続きがあってこそ、政府と市民の間の信頼が生まれる。(引用おしまい)
ポーランドの政体批判。しかし記事が出た当時の我が国では、内閣法制局長官人事が集団的自衛権容認が容易になる配慮でなされていました。公共放送の会長はといえば、「政府が右と言うものを左とは言えない」と公言する人物で、学生たちが結成したSEALDsのデモ活動も盛んにニュースになっていました。つまり、この社説は東欧の国をダシに、日本政府批判をしているようにしか読めないのです。あてこすりしかできない新聞なんて要らないよ。ポーランド人にも失礼だしね。

情報の寄る辺はいずこに

井上ひさしは言論弾圧に敏感な作家でした。有名企業の社史を集めて戦争を読み解く「社史に見る太平洋戦争」(新潮社)なんて本を出した人です。井上の嗅覚に、朝日のポーランド社説のナゾを読み解くカギがありました。1988年7月9日付の同紙夕刊「窓」より引用します。
(前略)小説を書くために、あの太平洋戦争末期の昭和20年ころの朝日新聞をていねいに読んでみて、「びっくりするような発見をした」と井上さんはいう。
「1面とかは、陸海軍の発表など勇ましいことばかりだが、意外なところにすごいことが書いてあるんです」
(中略)「ある記事は、東京の大会社の月曜日の出勤率を調べ、通常の半分の人が欠勤してることを知らせている。日曜日はみんな買い出しに行ったりして疲れていること、出勤できない状態なのが、わかるように書いてあるんです」
「あの厳しい言論統制の時代に、その記者は隠されたメッセージを懸命に送っていたんですね」
(中略)信頼される新聞をつくること、二度と「隠された伝言」の時代にしないことの大切さを、改めて思わずにはいられない。(引用おしまい)
私たちは今、再び伝言ゲームを読まされているんですか? 新しい戦前を迎えて、「隠された伝言」が朝夕に配達されているのでしょうか?
丸山が言及した憲法12条にある、国民に保障された自由と権利を保持するための不断の努力への情報の寄る辺を、どこに求めるべきなのか。不安な時代になりましたね。