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2016/04/16

熊本地震とテレビ報道

夜の客に手探りに葱(ねぎ)引いて来し

熊本出身の俳人中村汀女の名句です。暗がりの中、畑からネギを抜いてきて、急な来客にふるまうといった内容でしょうか。
数人との限られた個人的体験でしかないんですけど、肥後人たちにはいったん親しくなると、中村の句のように相手へやたらと気を遣ってくれる風があるようです。時にこちらがやり過ぎじゃないかと思うことがあってもやめない。慇懃無礼や損得勘定でやっているのではない。純粋に相手を喜ばせたいみたいです。別れ際、当方が角を曲がるまで見送ってくれるなんて、まるで池波正太郎の剣客商売シリーズに出てくる武士のようです。いい意味で昔の気風が生きているのかもしれません。熊本出身者って女性でも、「さようなら」の代わりに「ご無礼します」って言うのね。ホント、お武家様だわ。

熊本を“棄災地”にするな

そんな愛すべき人たちが暮らす地域を襲った震災の被害がこれ以上広がることなく収束し、1日も早く復興に向かうことを願います。農商工諸産業の停滞は必至。熊本城をはじめとする観光資源も大打撃を受けています。インフラの復旧も急がれますし、被災者の家屋の問題だって重要。問題山積の熊本県が、自助努力のみで復興できるはずがありません。当然、国と日本社会が手を差し伸べる必要があるのですが、最悪の原発事故まで引き起こした東日本大震災被災地への昨今の関心の低さを鑑みるに、社会全体の健忘症を促進してきたメディアの扱い次第では、東北に続きいずれ九州だって、中央から“棄災地”にされかねません。
今回の報道で気になっているのが、周辺にある原発の扱い。申し訳程度に「玄海・川内・伊方に異常はありません」と、テレビのアナウンサーが語るけれど、鹿児島県薩摩川内市や佐賀県玄海町の震度表示はなされません。原発推進・反対のセクトに関係なく、国民が知りたい情報なのに伏せられています。フクシマを想起させまいと、そんたくしているのでしょうか。
新聞・雑誌など活字と違いテレビというメディアの場合、報道の連続性を保つ試みを続けねば、出来事は忘却されてしまいます。視聴者の記憶を風化させない。それのみがテレビ報道の歴史に関わる意義です。一方、九州地震という新しいイベントに群がることで、東北を忘れ去るようなシカト報道もいけません。深い眠りにおちいりがちな国民の記憶をたたき起こし続けるのがテレビジョンの役目。

「あさイチ」の先輩は伝え続けた

かつてNHKに「スタジオ102」という情報番組がありました。公共放送の取材網をフルに使い、朝から硬派より軟派までのニュースを幅広く取り上げた、「あさイチ」の大先輩です。司会を務めたアナウンサー野村泰治は、番組の使命についての一文を読売新聞に寄稿しています。1965年8月29日付「日曜サロン」より引用します。
「もはや戦後ではない」という言葉が使われてからすでに久しいが、ぼくは「いまだに戦後は続いている」と思う。
世相を映す鏡を自認している「スタジオ102」には、ことしが終戦20年ともあって、なにがしか戦争に関連した話題が多い。そしてそのたびに、全国各地からうしおのように集まってくる感想や提案や問い合わせ。まぎれもなくそこには戦後が長い影をひいている。
“墓参団や慰霊団”の話題には、かならず肉親の最期の模様をぜひ調べてほしい、現地の小石をもらいたいという要望が来るし“グアム島で米人に拾われ、遺族を捜している兵士のアルバム”では、その部隊の当時の編成人員がほとんどわかるほどの協力があった。
“身元不明の遺体100体以上を乗せたまま、今なお北海道根室沖の海底に眠る浦河丸(注・空襲で撃沈された輸送船)”では、市長はじめ有志による引き揚げが具体化してきたし、ぜひその費用の一部にと金を送ってきた婦人もあった。
数えればきりがないが、最近“真珠湾を奇襲した特殊潜航艇員の遺族”が、地形が似ているため訓練にあてられた愛媛県の三机(みつくえ)湾に集まり、往時の肉親をしのぶという話題で“かつては軍神とあがめられた人々の遺族”と紹介したところ“かつての軍神とはなにごとか、不滅の武勲は今もなお生きている”というおしかりがきたし“軍国主義の復活を図るとはなんだ”という相反する投書もきてぼくを当惑させた。
激烈な戦いで九死に一生を得た体験をぼくも持っているが、反響に見られる人々の傷の深さには及ぶべくもない。この20年、悲しみを耐え、怒りを押え(ママ)、じっと生きつづけてきた人がいかに多いことか。
「スタジオ102」では、今後もこういう問題に触れるだろうし、ぼくも淡々と事実を提示していくつもりだ。
こういう話題が登場しなくなった時、はじめて“もはや戦後ではない”といえるだろう。(引用おしまい)
「スタジオ102」は、敗戦20年後も第二次世界大戦を忘れませんでした。当時のスタッフのほとんど全員が戦争体験者であったろうことも大きかったでしょう。例えば「あさイチ」の関係者がフクシマを知らぬと言えるのか、熊本は他人事だとうそぶけるのか。できるはずがありません。現在の東北・九州と同じ時代の同じ空気を吸って生きているテレビ屋が、言えるはずがない。
ひんぱんな余震がなお続き、16日現在で40人以上が亡くなっている震災にもかかわらず、そんなことはなかったかのようにアホ丸出しのバラエティを流すテレビ局が、すでに現れています。時代を記憶させる概念がないテレビジョンに存在意義などない。そんなテレビなど滅びてしまえ。

消し去るにしのびないもの

中村汀女が育った江津村(現・熊本市)には大きな湖があって、まま水害に見舞われたそうです。

出水後の蘆(あし)色もどる泳ぎかな

洪水が去った後の元気なアシの茎に喜びを得た中村の思いは、きっと今の熊本県民の願いにそのままつながるのだと思います。
「中村汀女俳句集成」(東京新聞編集局刊)によれば、中村にとって俳句とは「心にあふれ、そのまま消し去るにしのびないものを十七文字にする」ことだったそうです。
“心にあふれ、消し去るにしのびないもの”を消し去らぬよう、メディアには努めてもらいたい。大きなかけ声は不要です。人並みの声量であっても、語り続けることが大切なんですよ。