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2016/04/11

「真田丸」第14回感想 「ギャラクシー大坂」

「役者は人形じゃない」by 近藤正臣

9日にBS朝日で放送された「ザ・インタビュー」の出演は、「真田丸」の本多正信役、近藤正臣さんでした。ベテランだけあって、心に残る言葉がいくつかありました。
インタビュアーが「プロデューサーや監督が望むような演技をするのか?」と水を向けると、「役者は人形じゃありません」と軽く気色ばみ、骨董屋でキセルなどを買い込んでは仕草の練習に使うエピソードを披露。「今の現場には所作や時代考証の担当者がいて、若い役者に教えてくれる。昔は監督や先輩俳優が指導した」との一言に、制作現場の教養や常識劣化へのいらだちがにじんでいました。
最近の俳優はセリフは早く言えるけど間のとり方ができていない、との主張もありました。それ地上波で言いましょうよ、近藤さん。往時に比してディレクターや俳優が不勉強な劣等生ぞろいであれば、多くの視聴者に問題を広報した方が、作る側も緊張感を持って努力するものです。だれだって自分をバカだと思われたくはありませんから。その近藤正臣さんが出演している「真田丸」第14回「大坂」を視聴しましょう。

群像劇改め有象無象劇

越後に戻った真田信繁は、もう人質なんかじゃありません。
景勝「もう少し上田におらぬか」
信繁「こちらにいた方が気が晴れます」
今や食客扱いです。信繁の一言で、供回りだって沼田に里帰りできちゃう。加賀では、お家の大事を人質に相談する景勝。そんなに好きなら養子に取れよ。小豪族の次男坊なんだし問題ないでしょ。とかく景勝の信繁への偏愛ぶりの理由がわからないんですよ。うだうだして救いのないバカ殿ぶりは相変わらず。景勝の人間性はまるで描かれていません。
日本海に沈む夕陽を春日山城から見つめる信繁に、矢沢三十郎が「前に進みましょう」と持ちかけます。室賀正武を惨殺した時にもお兄ちゃんが同じこと言ってましたけど、根拠なきまま、やたら「とにかく前に進む」を登場人物が口にのぼせるのが「真田丸」のお約束になりつつあります。「あさが来た」の「びっくりぽん」みたいに流行らせたいのかな。根拠なきセリフは流行語になりませんよ。この場面、前回の城北にある山寺シーンに続き日没が変です。春日山城の北側にある日本海に日が沈む。北に落陽するのが「真田丸」ではお約束なのでしょうか。ちなみに矢沢三十郎、まだ要る? 真田丸ドラマツルギーにおける存在意義が不明です。薄っぺらいんですよね。
石川数正出奔後、真田信尹の牢を訪れる家康の場面でも、見どころは太陽の在りか。信尹に対面する家康の顔が明るいので、囚人の背後におひさまがあると思われますが、なぜだか信尹の額も陽光に照らされています。光源めちゃくちゃ。演出や照明も、脚本に連動して緩んできているのでしょうか。
徳川家康とゆかいな仲間たちは、天正の大地震に襲われます。戸障子を開け放ち、薄着で過ごす日中の直撃ですが、この地震は現在の暦で真冬の1月18日、夜も深まった時間に発生してます。この程度の改変は時代考証において問題の外なんでしょうか。だとすれば、なんかさびしい。
今回、もっとも冗漫に感じたのが真田家の軍議でした。現代語劇ですから「アリかもしれません」なんてセリフも出てきます。ここで豊臣秀吉を下の名前で呼ぶ秀吉コールが始まります。真田に限らず、登場人物のほとんどがこの呼称を使いますが、天下人を近しい知人のごとく扱う言葉遣いに違和感を覚えませんか? 現代でも「安倍とはどういう男だ?」と言うことはあっても、いきなり「晋三とはだれだ?」とはのぼせません。織田、上杉、北条、徳川、武田、真田と家名を使ってきたのに、突然の天下人フレンドシップ。「豊臣」や「羽柴」ではわかりにくかろうから配慮した、というのであれば視聴者をナメすぎです。
脚本家が主人公キャラ立ての必要性を感じ始めたのでしょうか。石川数正を急にだらしない人間に仕立て信繁の相手をさせることで、主役の人格向上キャンペーンを始めました。だれかを持ち上げるために他のだれかを貶める、またはその逆を行うというのは、いまどきの作劇ではもっとも低俗な部類に入ると思いますが、三谷幸喜さんともあろう著名な脚本家がそれをやるとはね。ここまで描かれてきた徳川軍団の結束とは何だったんだ。石川ならびに石田三成相手に、やたらでしゃばるようキャラ変された信繁がウザいです。前週の梅といい、その前の漁民騒動での信繁といい、「真田丸」はウザキャラを一人は出さないと死ぬ病気なの?
とにかく、登場人物が皆浅い。官僚的合理性皆無の石田三成、粗暴な酔っぱらいにすぎない加藤清正、ジュリアナ東京のお立ち台で扇子振りながら踊っていそうなアホギャル茶々、高級武士のくせに初対面の信繁に名乗りもせずテロップのみで視聴者に紹介される片桐且元、小日向文世さんには役不足のライト秀吉……。「真田丸」は群像劇なんだそうですが、場当たり的にカリカチュアライズした歴史上の人物を、面白おかしく総花的に画面に垂れ流すドラマを群像劇とは呼びません。
「上杉様には、関白殿下にお会いするため上洛していただいたのだ」「関白殿下というのはどういうお方なんですか」といった、日本語として看過できない言葉を俳優が平然としゃべる場面からは、制作現場の問題意識の低さが伝わってきます。
これでは三谷監督の駄作映画「ギャラクシー街道」と同じ構造です。ギャラクシー大河ではありませんか。太陽の位置がいちいち私たちの常識と異なるのも、地球外の銀河系宇宙が舞台だからなのでしょうか。

俳優と言葉

こんな脚本だから、あんな演出だから、を理由に俳優がダメなのもしょうがない、と片付けることは簡単です。しかし、そんな見方では、救いようがなかった昨年の「花燃ゆ」への視聴態度を繰り返すことになります。良い作品を見たい願望あらば、私たちは物言う視聴者でありたい。
近藤正臣さんは言いました。「役者は人形じゃない」。おかしなセリフや演出に疑問を呈することなく、与えられた仕事のみをただただ画面にさらす俳優たちは人形ではないのか。役者とは、言葉を大事にせねば成立しない職業だと思いたい。
大正から戦後の演劇界を支えた大女優の一人に山本安英がいます。木下順二の傑作舞台「夕鶴」は、千回を超えて上演されました。山本は言葉を大事にした人でした。主な活躍の舞台は演劇でしたが、ラジオでの作品上演や後人の育成にも貢献しています。ラジオ劇は言葉がすべて。受け手は美男美女の顔にごまかされることも、躍動する肉体美に感銘を受ける手段もありません。
1974年、山本はNHKラジオ第一放送で、木下原作・脚本による「おんにょろ盛衰記」を演じました。山本のラジオ・ドラマは10年ぶり。言葉に賭ける女優魂を語った、同年4月9日付の毎日新聞夕刊「10年ぶりのラジオ・ドラマに情熱燃やす 山本安英」から引用します。
(前略)「いいですねえ、ラジオ・ドラマは。好き、私大好きです」
テレビ時代の到来とともに片すみに押しやられてしまったといわれるラジオ。なかでも最大の受難者はドラマだった。
「ラジオ・ドラマには築きあげられた歴史がありましたからね。それを本当に大切にしたい」
ラジオ・ドラマと山本さんのかかわりは深い。大正14年、日本最初のラジオ・ドラマ「炭坑の中」に築地小劇場2年目の彼女が出演したのがそもそもの始まりだ。当時は擬音と称した効果音に次第に次第に工夫が加わり、1作ごとに新しい発見が何かあった。実のある“何か”が一つずつ積み重ねられていった時代だった。
昭和18年、NHKの東京放送劇団が創設され、講師になった。声優を養成するためだ。生徒から加藤道子、七尾伶子、小山源喜、巌金四郎など多くの声優が生まれている。
「おんにょろーー」は原作者が中国の京劇をヒントに書き上げた民話劇だ。セリフには日本各地の方言が使われている。
「方言には日本語の豊かさをしみじみ感じさせるものがありますね。エネルギッシュでありながらユーモラスで、そのものズバリの表現が方言ならできるんです」
もちろん、それだけにセリフまわしはむずかしい。
「でも原作の格調を壊したり、日本語の美しさを消しゴムで消すようにはいきません。もったいなくてーー」
こよなくラジオ・ドラマを愛する山本さんが“ことば”のこよなき愛好者であってふしぎはない。
“山本安英の会”主催による「ことばの勉強会」は昭和42年の発足以来、すでに74回を数える。“ことば”をいつくしむ彼女の心情が次第にその輪を広げ、着実に歩を進めているかっこうだ。
(中略)「ラジオ・ドラマのおけいこも昔は、日数をかけてとてもていねいにやりました。芸術祭参加作品では1ヵ月もーー。こんどは4日間です。(中略)テレビのような補助的手段のないラジオ・ドラマではセリフだけが命です。それだけにしっかりした基本が要求されます。(中略)ラジオ・ドラマが復活してきたそうですが聴いている人たちはけっこう多いんじゃないかしら。もっと積極的な企画があっていいと思います。想像力をはぐくみ、きっと人間形成のうえでも役に立つと信じています。良い作品にはこれからも大いに出たいと思います」(引用おしまい)
NHKのラジオ・ドラマは、今でも「オーディオドラマ」と名を変えて継続されています。大河の視聴者に比べればリスナーの数は知れたものでしょう。でも、そこにはまだまだ山本が言った「セリフだけが命」の世界で研さんを重ねる俳優たちがいます。その経験はいずれ、舞台、スクリーン、そしてテレビドラマにも生かされるはずです。
「真田丸」の若い出演者の中には、山本安英の名前を知らない世代がいるかもしれません。山本を知らずとも、ラジオ劇を知ってほしいものです。ラジオの出演料は安いでしょう。ギャラを取るか、芸を取るか。それは、自身がギャラクシードラマに加担するままであるか、改善に貢献できるかの自我の問題でもあります。
ナレーションの有働由美子アナウンサーにもラジオ出演はオススメ。句点の場所はどれも決まりきった長さで切って済ませ、読点を終えたらすぐに次のセンテンスを読み出す、現在のアナウンス調の語りは限界に近づいています。1か月ぐらい「あさイチ」休んで構わないから、その間第二放送「ラジオ文芸館」で語り倒し、鍛えに鍛えて、改めて大河ナレに挑むのはいかが?