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2016/04/03

「真田丸」第13回感想 「テレビ対視聴者の決戦」

時代考証家の目

司馬遼太郎が一目も二目も置いていた時代考証家・稲垣史生の著書「考証 テレビ時代劇を斬る」(河出書房新社刊)は、1980年代初頭までの時代劇の誤りを斬りまくる快作。気楽に読める教養本としても良く出来た一冊です。具体的な作品名と場面を列挙して、公共放送・民放関係なく諸作ことごとく、なます切り。稲垣の刃にかかれば、家来が真田家の次男坊を「若様」とよんでいる「真田丸」なんか、今ごろ出血多量で虫の息でしょう。
大名なら勿論のこと、大身の旗本でも大名に準じ、継嗣のばあいだけ幼時は「若様」、長じて「若殿」または「若殿様」という。二、三男は名前に「殿」をつけ、例えば「左京殿」「新太郎殿」と呼び、間違っても「若様」や「若殿様」とはいわない。身分が封建制のバックボーンだから、それだけの差をつけて固く守らせていた。(同書より引用おしまい)
稲垣健在であったらば、長澤まさみさんをはじめとする女性陣はこぞって虐殺の目に遭っているはずです。
「だわよ言葉」は明治のはじめ、芸者の卵のお酌が使った。あどけなくて若く見えるので、芸者がまねてお座敷で使うと、田舎っぺの多い明治政府の高官が気に入り、奥方や娘にまでこの「だわよ言葉」を使わせた。それが一般の婦女へ普及するきっかけになったという。(同書より引用おしまい)
「真田丸」は現代語での進行が売りですから、「だわよ」ぐらいは想定内。でも、多くの視聴者が知識を吸収した上でドラマを見るようになれば、制作は手抜きができなくなるし、作品の質もアップするというものです。私たちの教養増進と映像劇の水準向上。まさに一石二鳥となりましょう。

信繁の嫁が戦場と茶の間を陵辱

「真田丸」第13回「決戦」は、ひどかったですね。このところ、シナリオが坂道を転げ落ちるように劣化しています。
最大の問題児は、黒木華さん演じる真田信繁の嫁。陣地に滞在する理由不明のまま、授乳の時間になると勝手に城へ帰る女です。乱戦の最中、外に出たいから門を開けろとほざいたり、領民の子が大事にしているお守りを取り上げて自分の物にしたりと、頭がどうかしています。真田の次男坊の妻なんだから、一文銭の6枚ぐらい手前で調達しろよな。そんなお守り、城のはした金に紐を通せば自作できるだろうに。
きり「あなた、戦は嫌いじゃなかったの?」
梅「親となったら話は別よ」
そう、親であれば話は別。前線の徘徊など控えておとなしく大事な我が子に乳でもやっていればよろしい。好き好んで役にも立たぬ戦場をうろうろして、信繁・佐助から門番まで、大勢の戦闘員に迷惑かけるのは逆効果です。一億総活躍社会ってこんな感じなのでしょうか。乳児をほっぽらかして戦場往来する母親が勝手をやらかすにつれ、この女から視聴者の心は離れていきます。

戦国名物“どこでも鉄砲”

激戦の最中に我が目で戦況を見ようとせず、囲碁に夢中になっている総大将昌幸の太平楽ぶりは、こいつに作戦任せてホントに大丈夫なのかと思わせます。「駒が足りぬ」などと不安がってましたが、あれだけの雁首そろえていた小県衆が、出浦昌相を除き消え失せてしまったのは、室賀正武と一緒に皆殺しにしてしまったためでしょうか。劇からキャストを退場させるには、それなりの理由が必要。頻出する昌幸の囲碁シーンは、智将のメタファーを通り越して、碁打ちホリックの様相を呈しています。
その楽天家である根拠は、どうやら新兵器の大量購入にあったようです。大名でもない田舎の小豪族風情がおびただしい数の鉄砲を購入して実戦配備、徳川勢に銃弾の雨を浴びせます。長篠の戦いで鉄砲が効果的に使われたとの伝説が最近まで流布していたせいで、このころには相当数の鉄砲が全国津々浦々の武将に行き渡っていたとの誤解がありますが、大大名でも相当数をほいほい買える価格でもなかったし、鉄砲自体が砲術専門家なしでは、その辺の足軽が使いこなせる代物でなかったのは今や常識。
銃身の先が膨らんでいたので堺で生産されたと想像しますが、関西の堺衆と信州の昌幸の接点はドラマでは説明されていません。制作者は視聴者を無知蒙昧の輩だとナメているんでしょうか。
徳川方が狭隘(きょうあい)な城内に少数の鉄砲を持ち込んだのは、その表れでは? 鉄砲隊は1発撃ったら銃口を掃除して、新たな弾丸と火薬を詰め直し、手前の火皿に別の火薬を加えて、場合によっては火縄への着火をやり直す。鉄砲は野戦の道具です。攻城の近距離戦でこんな悠長な作業をやる兵隊さんは、たちまち皆殺しにされますよ。実際、画面を見る限り捕虜が出た様子はなく、上田城では無残な殲滅戦が行われた模様。「真田丸」の徳川は、とかく戦が下手です。

東から上ったおひさまが、北へ沈〜む♪

具体的な作劇に話を戻します。信繁は、攻撃を受けた「城の北側にある山寺」の参道を駆け上がりました。ナレーションで説明された、徳川勢退却後の夕暮れ。カラスがカーカー鳴いています。信繁には真っ向から夕日が差しています。そうか、信濃の国では北に太陽が沈むのか。どこの惑星大戦争なんだ?
稲垣史生が「真田丸」を見たら何と言ったでしょうか。本作にも、著名な時代考証担当が付いていますが、それは視聴者へのお墨付きではありません。時代考証は利害関係のない第三者機関ではなく、NHKからおカネをもらって調べている人たちの手に委ねられています。見落としもあるでしょう。権威の名があるから作中の事象がすべて正しいと信じこむのは、視聴者の思考停止。稲垣自身も、担当した作品でとんでもない場面を登場させてしまった失敗を著書で告白しています。
時代考証が働かぬドラマは、視聴者にいかなる影響を与えるものか。稲垣の寄稿による、1968年1月21日付の朝日新聞「テレビを考える ドラマに欠かせぬ時代考証」から引用します。
最近、テレビの戦争ものにこんなシーンがあった。九州の基地から飛立つ(ママ)特攻隊員にその母親が面会に来て、幼時の思い出話にしんみりするところ。大変ないたずらしてしかられたことがあるといい、あれはいくつの時だったかなあ、と特攻隊員は澄んだ追憶の目になる。すると母親が答えていう。
「あれはお前が数えで4つの時だったよ」
待てよ、と頭をかしげざるを得ない。数えでいくつ、満でいくつというのは戦後のこと、戦前には数えでと断る必要はもうとうない。間違いだ。まあ、満で4つといわなかったのがめっけものであろう。
(中略)やはりテレビの捕物帳だったが、主人公の岡っぴきが女房に、いま手配中の人相書を集めて来いといった。すると、なんと7、8枚も束ねて持って来たではないか。驚いた。人相書というのは、親殺し、主殺しの逆罪でなければ出さなかったと聞いている。日本左衛門のような大盗でも、逆罪でないのに人相書が出たのが例外だと珍しがられた。
実際には数えるほどしか回されず、いっぺんに7、8枚も持って来ることはなかったのである。恐らく現代の、犯人の手配写真と同様に考えたのであろう。
こんなことを言出す(ママ)ときりがない。が、時代考証とは、つまりその時代的なズレを直し、当時の風俗や制度や生活感情を正確に再現することである。
ドラマだからそのへんはほどほどに……というのでは絵そらごとになる。現実感がないから迫力が出ない。例えば数えで4つといわれ、瞬間、少なくとも私は、別離の哀感がふっ飛んでしまった。これはなんとしても痛い。時代考証とは、いかにドラマを本当らしく見せるかの技術ともいえよう。(引用おしまい)
稲垣は、作り手側に対しなるべく正しい考証を施した作品を送り出すよう求めています。しかし、前述したように上手の手から水が漏れることもあれば、作品によっては考証が機能しない駄作が存在するのは、私たちも承知しています。結局、正しい知識を得ようとすれば、視聴者がテレビ以外に知識を求めるしかないのかもしれません。
1971年5月の読売新聞で兵頭与一郎・日本城郭文化研究協会常務理事(当時)は、その点について視聴者に注意を促しています。同月4日付の同紙夕刊「『史実めかし』に要注意」より引用します。
(前略)歴史の中には、どうしてもわからない“影の部分”というものがあり、学者や研究者がいくら究明してもなお残る“謎(なぞ)”のエリアがある。そこがドラマの“虚構”が割りこめるスペースなのだが、ドラマ自体はあくまでもフィクションを基盤にして成立し、史実とは別個のものである。この点をよく心得て見ないと、ドラマの虚像を歴史上の実像のように錯覚、知らず知らずのうちに歴史をゆがんだ形で認識している。
現代劇では制作者も視聴者のきびしい目を意識して慎重だが、時代劇となると「なあに、こんなことわかりゃしないさ」と平気で史実を無視したり、天守閣のなかった城に麗々しく天守を出したり、あやしげな俗説や講談のたぐいをいかにも史実めかして描き出す。時代劇にも「このドラマの主人公は実在した人物ですが、物語の内容はフィクションであります」くらいの断り書きを出したらどんなものか、と思う。テレビ時代劇を不用意に見続けていると、自分でも気づかぬうちに“歴史白痴”になっていた、などといことになりかねない。“テレビ公害”の一種だなどと大げさなことは言わないが、歴史教育とか将来のことを考えると、なんとなく空恐ろしくなってくる。(引用おしまい)
あまり良い言葉ではありませんが、「歴史白痴」なる単語が出てきました。時代劇が視聴者をバカにするような設定や展開を持ち出してくる。それは視聴者が「歴史白痴」として遇されているという意味です。テレビが私たちを天秤にかけているのです。
現在のテレビには、かつての稲垣史生のような、番組内容を正す小姑が必要です。その役割をもっとも効果的に果たせるのは視聴者。テレビを正しい方向に向けるには、視聴者にも鍛錬が必要です。もちろん、その鍛錬はテレビごときを見る目的にのみ行われるべきではなく、知識を得た結果として自分自身が磨かれた喜びを得るために他なりません。