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2016/01/23

SMAPに重なる沖縄

沖縄の県民アイドルRMAP(Ryukyu Miserable Angry People)が、これから生放送で謝罪会見を行います。

県民A:先般から我々基地のことで、国家をお騒がせしました。そしてたくさんの国益に、たくさんのご心配とご迷惑をおかけしました。このままの状態だと、沖縄が空中分解になりかねない状況だと思いましたので、今日は県民が顔をしっかりそろえて国家に報告することが何よりも大切だと思いましたので、本当に勝手だったんですが、このような時間をいただきました。
県民B:このたびは、基地たちのことで、お騒がせしてしまったことを、申しわけなく思っております。これからの県民たちの姿を見ていただき、そして、応援していただけるように、精一杯がんばっていきますので、これからもよろしくお願いいたします。
県民C:本当に国家の方々に心配をかけてしまい、そして、不安にさせてしまい、本当に申しわけございませんでした。本土と一緒にまた今日からいっぱい基地をつくっていきたいと思います。よろしくお願いします。
県民D(元リーダー):今回の件で、沖縄がどれだけ国家に支えていただいているのかということを、改めて強く感じました。本当に申しわけございませんでした。これからもよろしくお願いいたします。
県民E:国さんの言葉で気づいたこともたくさんありました。本当に感謝しています。今回、アメリカさんに謝る機会を安倍くんがつくってくれて、今僕らはここに立てています。国民としてここに集まれたことを安心しています。
県民A:これから自分たちは、基地があっても、下を見て、下を見て進みたいと思いますので、国さん、よろしくお願いいたします。(以上、フィクション)

「していただく」「いたします」が並ぶ、一種卑屈とも思えるSMAPの謝罪会見を見て、大きな権力が弱者をねじ伏せようとする様が、沖縄の現状とダブってしまいました。首相官邸は、翁長雄志知事にこのぐらい言わせたいんだろうなあ。これまでのやり口が露骨だもの。
謝らなきゃいけないのは、私たち本土の人間ですよ。明日投開票の宜野湾市長選、こちらでは見事に盛り上がっていません。ウルトラ無関心です。
夏の国政選挙が衆参ダブル選になるかどうかの試金石であり、米国人たちとの付き合い方を、国民あまねく考えるべき大切なイベントなのに、我らヤマトンチュに話題の外国人らしき名前といえば、ジャニー、メリー、ジュリーに、あとベッキー。大方の国民の関心は沖縄になく、アイドルグループの解散問題と、タレントの不倫疑惑に重きが置かれています。沖縄の方々、ホントすみませんね。
万一の北東アジア有事における主力部隊でも何でもない海兵隊が、沖縄に駐留せざるをえない理由はありません。東京の浜離宮庭園やお台場を接収、海上滑走路を建設して基地を提供せよ。代々木公園をつぶして、そこでオスプレイをガンガン離発着させろ、と沖縄県民が主張してもいいわけです。東京湾なら、ジュゴンの生態環境調査なんてひち面倒くさいこともせずに済むしね。
隊員たちも、非番では六本木や歌舞伎町で豪遊できる特典があるぞ。治安の悪化? 日本を守ってくれる兵隊さんが、世界に冠たる大都市の婦女子に乱暴狼藉を働くはずがあるまい。でなければ、警察の人員や装備が警視庁より格段に落ちる沖縄に、海兵隊を置くのを日本政府が許すわけがありません。海兵隊って、きっと紳士ぞろいですよね。ウェルカム・トゥ・トーキョー!
ところが、実際にそんなことは許されません。基地問題は、原発の立地と同根の地方差別問題です。歴史を振り返ってみれば、これ以上の軍隊や基地の存在を拒む権利が沖縄の人たちにはあると思えます。本土に暮らす私たちは、戦争にさらされ続けた島々の史実を学ぶことで、沖縄の基地問題についての苦悩を考えることができるのではないでしょうか。
70年前に熾烈な地上戦の舞台となり、連合軍の攻撃で多くの戦死者が出た彼の地には、戦争が生んだ別の地獄がありました。
集団自決。米軍に捕まる前に、断崖絶壁から飛び降りたり手榴弾で自殺したり、といった話が流布されていますが、それらすら生ぬるいと思われる悲劇も現出しました。親が幼い我が子を殺すのです。
今日は、沖縄の日本復帰直前に行われた証言を取材した1972年4月18日付の朝日新聞夕刊のルポ「沖縄行脚1」(辰濃記者)から引用します。
(前略)那覇から座間味島という小さな島へ船で渡った。若夏の風が強く耳に鳴る日だった。宮平ウタさん(71)という1人の老女の戦争体験を聞くのが目的だったが、結局、本人からはなにも聞けなかった。なぜ聞けなかったかは後で書く。
ウタさんのメイ、宮城初枝さんの証言によるとーー
「米軍につかまれば、ズタズタにして殺されるというこわさを、皆もっていたんですよ。島は狭くて逃げ場所もないし、敵に殺されるよりは玉砕の方が国のためになるんだというんですね。叔母(ウタさん)の場合は、カミソリで一回、のどを切ったら、まだ死ねなくて、もう一回切りなさい、と叔父にいわれて、二回切ったら、声帯ですか、あれを切って、出血とアワがものすごくて、ぶくぶく出てきて、そのあと叔父は、娘2人ののどを切って、自分も切ったわけなんですね。次男の場合は一番最初で、なわで首をしめて、たいへん苦しがったそうですね。そして、もうお父さん、お母さん、苦しいといって、それでカミソリでやったんですね」
「7つの子をですね。こわいよこわいよ、と逃げていくところをつかまえて、やはり、カミソリで切った父親もいますからね。そして、火にくべて、自分は腹を切ってるんですね」
このような集団自決が、島のあちこちで行われた。住民の死者379人中、358人までが自決によって死んだという。つまり大半の人々が、むざむざ命を失ったのである。軍の自決命令が出ても出なくても「やはり自決の道を選んだろう。それほど軍国主義教育がしみこんでいた」と島の人々は、いま、いう。(引用おしまい)
読んでいて不快になる方もいらっしゃいますよね。自分でも吐き気を覚えましたもの。でも、知っておくべき歴史のひとコマです。小さな島で、愛息、愛娘のノドをカミソリでかっ切る親が、そこら中にいたんですよ。沖縄は、ヒロシマ、ナガサキと同じくオキナワとして、海外の市民にも知ってもらうべき惨劇のステージだと思います。そして、その惨劇の記憶は、戦後になっても生き残った人たちの心をさいなみます。引き続き同記事から引用します。
宮平さん一家は、次男だけが死に、あとは、米軍の手当てで奇跡的に助かった。ひなたぼっこをしているウタさんに会った。首にある手術跡の穴からはいまでもしゃべると空気がもれる。そのたびに首にまいた白布がひらひらゆれるのだ。戦争中の話を、というと、すうっと奥へひっこんでしまった。
初枝さんーー「27年の長い年月になりましても、あの子(次男)を自分の手で殺した、すまないという気持(ママ)で、叔母は戦争中のことはしゃべりたくないんですね。今朝も、ですね。仏壇に供えものをして涙、流しているのをみますと、私たちも戦争の話は聞けないわけですね」
自分の手で、子を殺した。自分は加害者である。あのような狂気に自分を追いこんだおおもとは、何であったろう。生き恥をさらしながら、それを自分に問い続けている。ウタさんは、そうもらしたことがあるという。(引用おしまい)
玉音放送をもって戦争が終結したわけではありません。降伏文書の調印が済んだからすべてが精算されるのでもない。ウタさんのように、おそらく死ぬまで戦争に向き合う、自身との闘いを続けていく人は、大勢いた。いま現在もいるでしょう。その闘いの比率が高いオキナワへの関心を、アイドルグループの存続を願うパワーから少しでも割く思いがあってもいいのではないか。
地域の歴史や文化を知ることで、そこに住む人たちの人権を尊重できるようになります。SMAPも歌っていますよね。
「僕らは世界に一つだけの花。一つ一つが違う種を持つ」