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2016/01/24

「真田丸」第2回感想 「殺陣師の決断」

「真田丸」の作劇は確かに新しい。真田信繁の人となりを描くのは、また延期。第2話も、主人公放置でした。
前回、独断で徳川方への斥候を行った判断が、父昌幸の薫陶だったのか、天性のいくさ勘であるのかが気になっていたのですが、上杉、北条のどちらに付くのか決める場面で信繁グラグラでした。視聴者の思い過ごしだったようです。
冒頭のナレーションに文字がかぶるのは、どうやら本作のお約束。アバンタイトルを流す代わりに、あらすじを振り返る役目なのでしょうけど、ナレーターの心境は複雑でしょうね。語りの味を画面が邪魔するわけです。分量の割に与えられた尺も短いし、作品を見ていれば理解できるような心理描写も不要。有働由美子さんには、少しばかり同情します。
今回は岩櫃城への逃避行が前半の山。山梨県韮崎市から榛名山の向こうにある群馬県の奥への道中なのに、周りに山影がないなんてツッコミを入れてはいけません。武田勝頼が新府城を出て天目山で散ったのは、今の暦で3月から4月の初めにかけてなんだけど、水田の稲が青々としているのはどうして、と言及するのもダメです。戦国時代の田園をロケで再現できる土地を、私たちは失いすぎました。醜い電柱が立っていたり、クルマがじゃんじゃん走っていたりする風景が当たり前の日本国にあって、ロケハン隊の苦労を思いやるのが筋でしょう。
いくさは素人の真田昌幸の娘が単騎偵察から戻ってきました。かなり無理がある状況設定ですが、木村佳乃さんの乗馬姿を見たい視聴者もいるでしょう。時代考証が働いているから、ちゃんと右側に下馬します。でもね、木村さん。「見つけれれる」のセリフはないわ。もはや建前とはいえ、日本語を大事に扱う公共放送のドラマ。監督も撮り直すか、後から声を入れるぐらいの労を惜しまぬ姿勢が求められます。
無意味なスローカットが、昨年に比べればかなり減ったのは慶賀の至り。アクションシーンにほぼ特化しているのも良いですね。それでも、まだ多い。最初の小競り合いなんて、弟の助太刀に入った信幸の胴斬り一発に収めておけば、あそこがかなりカッコ良いシーンになったと思います。2度目の乱闘では、信繁の飛翔からの上段斬りで再びの高速度撮影。別の相手と戦うモブが、たたらを踏んで後退する姿がスローで映り込んでいて、視聴者失笑。特殊撮影には画面を整理して臨まないと、逆にその効果が画を台無しにします。
ミレニアム・ファルコン号、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! この乱戦に草刈昌幸が西部劇の騎兵隊のごとく見参したショットは、ベタだけどしびれました。デス・スター上空で絶体絶命のルーク・スカイウォーカーを、ハン・ソロが救った「スター・ウォーズ」のカタルシス。
視聴者はすでに初回から真田の頭領に感情移入しているので、全国の茶の間の血がさぞ沸いたことでしょう。欲を言えば、直前の劇伴音楽を抑えめにして、真田正雄登場の瞬間にガーンと鳴らしてほしかった。そうすれば沸いた血と一緒に、肉も躍ったのではないでしょうか。テレビ時代劇には細かい注文ですがね。
主人公を放置した脚本は、徳川家内の描写に力を注いでいます。家康ペーペーの時代、いわば後のダース・ベイダーがアナキン・スカイウォーカーだった頃を描いています。最後に大坂で矛を交える両者の成長を今後、並行して進行させるとの決意ですね。この相当難しいチャレンジにエールを送りたい。最終盤のクライマックスでは、真田幸村が家康を追撃する時、ほとんどの視聴者が「幸村、行けぇ!」と興奮していなければならない。さじ加減が大変です。家康をタヌキジジイのステロタイプとせずに、人間ドラマを今後構築できるのか、要注目です。
今回は、長年大河の殺陣師を務め、昨年死去した林邦史朗(このブログでは故人に敬称を付けません)が、武田信玄の亡霊役で出演していました。1965年以来の大河との付き合い。キャリアが長いから、緒形拳・直人親子には数十年をまたいで型をつけています。リアリズム追求型の殺陣師だったそうですが、その姿勢は大河以外でも徹底していました。
1979年、NHKは水曜時代劇「風の隼人」の殺陣を林邦史朗に依頼します。林は、幕末の志士益満休之助を演じる西田敏行さんに、薩摩の薬丸自顕流を仕込まねばなりません。同年8月2日付の読売新聞夕刊「『風の隼人』に自顕流剣法」から引用します。
(前略)このドラマの殺陣師の林邦史朗さんは鹿児島に飛び、薬丸自顕流の継承者から太刀さばきの手ほどきを受けた。「夕(ゆうべ)に3千、朝(あした)に8千」という丸太棒を打ちふるう猛げいこから生まれた自顕流の気合は、「一の太刀あって、二の太刀なし」といわれる必殺の迫力を持っているという。(引用おしまい)
鹿児島まで足を運び、太刀筋を習得した林の真摯な仕事ぶりが目に浮かぶようです。
殺陣師は消化した剣を、剣劇シロートの俳優に教えて、さらには劇として成立させねばいけません。カメラマンが真剣をクローズアップで撮りたいと言えば、秘蔵の本身を銃砲刀剣類登録証と一緒に抱えてスタジオへやってくる。時代に合わせた刀の知識も必要です。「真田丸」で堺雅人さんが手入れをしていた小刀には、鞘巻がほどこされていました。あれは戦国時代の流行。思わずニヤリとさせられました。
とはいえ、視聴者にとっては撮影現場での殺陣師の役割はわかりにくいものです。その仕事と苦労を嵐寛童殺陣師に聞いた、1968年7月13日付の朝日新聞夕刊「殺陣師の苦心」を紹介します。
(前略)台本を読むと監督と打合せ(ママ)、おおまかなタテをつくる。しかし、俳優をみてからねり直し、セットにはいってさらに状況にあわせて修正していく。「その俳優をどの角度からみせるか。体の動きの特徴を早くつかんで、それに合ったタテを考える。それもとっさのひらめきですね」。じっくり考える暇は、テレビ映画にはない。殺陣師として10年のキャリアだ。
殺陣師が俳優の魅力にひかれ、俳優が熱心ならいいタテができる。「でもタテは間(ま)とタイミングが生命なので、結局、制作スタッフみんなの息が合わないとうまくいかない。からみ(切られ役)と殺陣師の間に気持(ママ)のずれがあると、振付けている(ママ)最中にケガをすることもあるんです。また、見せたいカットのときにカメラがアップにしてくれなければ迫力も出ない。むろん監督と気持が一体になっていないとタテだけ浮いてしまうでしょう」(引用おしまい)
映像劇の制作は、各方面のエキスパートの汗で成り立っていることがわかります。林の跡を継いだのは、中川邦史朗さん。黒澤明、岡本喜八らと組んだ有名殺陣師久世竜が、「あれでは人は斬れない」と否定した、忍者流の小刀逆手斬りの構えを堺さんにやらせています。仕事師の流儀は人それぞれ。多少は見栄え重視のファンタジーが入った殺陣があってもいいでしょう。新たな殺陣の仕組みと型を決断する中川さんと、スタッフみんなが息を合わせて、迫力のある画を届けてほしいものです。