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2015/12/26

吉永小百合が伝える過去、古舘伊知郎が語る現在

吉永小百合さんの原爆詩朗読ボランティア活動をつづった単行本「吉永小百合の祈り」(NHKアーカイブス制作班編、新日本出版)には、吉永さんのインタビューとともに原爆詩の数々が載っています。大人の被爆者が選別し、修飾をほどこした力強い言葉は戦争の無残な結果を伝えるに十分なのですが、装飾を知らぬこどもたちによる心情むき出しの歌もまた心を打ちます。
同書から「無題」(小学5年 佐藤智子)を転載します。
よしこちゃんが
やけどでねていて
とまとが
たべたいというので
お母ちゃんが
かい出しにいっている間に
よしこちゃんは
死んでいた
いもばっかしたべさせて
ころしちゃったねと
お母ちゃんは
ないた
わたしもないた
みんなも
ないた
この悲しい詩を読んで、こどもたちがこのような戦火にさらされることがないよう祈り、努めるのが、ホモ・サピエンスのホモ・サピエンスたるゆえんですが、日本だけでなくシリアやパレスチナのこどもたちにも同じく思いをはせるのがグローバル社会のならい。
「報道ステーション」(テレビ朝日系)で古舘伊知郎さんが、「有志連合のアメリカの、ロシアの、あるいはヨーロッパの一部、フランスも含まれますが、誤爆によって無辜(むこ)の民が殺される。結婚式の車列にドローンによって無人機から爆弾が投下されて、皆殺しの目に遭う。これも反対側から見るとテロですよね」と語ったのは、至極まっとうです。広島、長崎、東京、パリ、ガザ。どこで生まれ育とうが、人間には殺される権利などないのですから。
今日は、日中戦争で日本陸海軍が行なった重慶爆撃を取り上げることで、戦争への価値観、人殺しに対する倫理観について考えてみます。
1938年、日本軍は蒋介石の国民政府の臨時首都重慶に熾烈な爆撃を開始しました。その数は200回を超え、万単位の死傷者を出します。もちろん、その中には女性やこどもを含む一般市民が含まれていました。
我が国のメディアはこぞって戦果を絶賛。その中から、1939年1月17日付の読売新聞「未曽有の大混乱 第六次空襲 その日の重慶」から引用します。
【北京本社特電】(16日発) わが陸の荒鷲田中、服部、原田の各隊より成る大編隊は15日敵首都重慶を大空襲したが今次の爆撃は数次に亙る(わたる)空爆中でも最も大規模であったためその打撃もまた甚大で従来国民政府宣伝の尻馬に乗った感のあったユー・ピー電も俄然筆法を変えて同日の空爆が如何に激烈であったかを次の如く詳細に述べてゐる。
(中略)防空隊の発表によれば西郊に多数の爆弾が投下されたが埠頭も無残に爆撃され重慶の町は恐怖に満ちていた。重慶市民は遠近に◯◯ポンドの爆弾の破裂する大音響、中空に高射砲弾の炸裂する音、戦闘中の戦闘機の発射する機関銃声を聞き全く未曽有の経験に戦慄した之等の音響は午後1時に開始され40分続いた。防空隊の発表によれば爆撃中郊外上空において日支戦闘機の間に猛烈なる空中戦が行はれたがこれは支那西部における最大の空中戦であった。(引用おしまい)
海外通信社の被害報道に、読売新聞がはしゃいでいますね。当時は朝毎はじめ各紙が同じ価値観で報じていましたから、読売だけを嗤うわけにはいきません。よその国まで飛行機飛ばして爆弾落とし、人を殺しまくったことを、勝った勝った、また勝ったと、国を挙げて騒いでいたわけです。
爆弾の重量が「◯◯ポンド」と伏せてあるのは、それが軍事秘密だったせい。爆弾は国民のお金で造られていました。兵器も人件費も含め莫大な戦費は国民が負担したんだから、重さぐらい知る権利がありそうなものですが、この時代の指導者たちにそんな考えはありません。特定秘密の多い社会は窮屈です。
重慶空爆に大はしゃぎしていた読売新聞はその50年後、再びこの事件を取り上げました。1989年12月15日付の「おあしす」より引用します。
日中戦争のさなか、日本軍による無差別爆撃で多くの犠牲者を出した「重慶爆撃」の実態を伝える本が、「東京大空襲」の記録運動で知られる作家早乙女勝元さん(57)の手で出版された。
「母と子でみる重慶からの手紙」(発行・草の根出版会)。中国・国民党政府の臨時首都・重慶は、昭和13年から5年間にわたり爆撃され、死者は約2万人とされるが、史実を知る日本人はわずかだという。
米国ワシントンの国立公文書館で入手した中国人犠牲者の惨状に関する資料は、集めてきた東京大空襲のそれと「まったく同じだった」と早乙女さん。被害者の側から加害者の側へと目を転じての著作となった。(引用おしまい)
読売の二つの記事を紹介しました。どちらの視点が、人としてまともでしょう?
吉永小百合さんが続ける朗読は、過去の美化ではありません。古舘伊知郎さんが掲げた疑問は、現実に思考停止するの愚に鳴らした警鐘ではないですか。
広島の空と重慶の空はつながっています。パリの空の下でクリスマスを楽しむこどもたちと、米露のドローンや爆撃機からほしくもないプレゼントを見舞われる少年少女らの命に違いがあろうか。トマトも食べられずに亡くなったよしこちゃんは、ピエール、エリザベスといった名前でもあり、アリーやヤスミン、ムハンマドでもあります。
戦争をするには、自分が殺される不安と同時に、こどもたちを殺す覚悟を要します。