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2015/12/23

水木しげるのいない正月

鳥取・境港の水木さん生家
水木さんのうそつき。百歳まで生きると言ってたじゃない。
面識のない93歳の老人の死去に、これほどの喪失感を覚えるのは過去にないし、今後もないでしょう。作家京極夏彦さんの「物心つく前から水木作品にふれて、水木作品と共に育ち、水木作品と共に老いて、今の僕はあります」という追悼(1日付朝日新聞)の文言は、おじさんにとってもまさにその通りで、偉大な漫画家の死に、もはや触れるべくもなかろうと思うことにしていましたが、お正月が近づくにつれてその喪失感が、より大きくなってきました。
振り返ればこどものころ、年の始めは常に水木漫画とともにありました。1月3日に書店が開くと、お年玉を持って「ゲゲゲの鬼太郎」の単行本を買いに行ったものです。小便もらすガキだった時分には、「ばおーん」「ビビビビビビビン」といった独特の擬音にケタケタと笑い、自我に目覚めてからは、ニヒリストでリアリストであったねずみ男に世間を学びました。消費者運動家ラルフ・ネーダーの名前を知ったのも、「鬼太郎」中のねずみ男のフキダシ。水木作品の登場人物に似ているとの理由から、「水木しげるのメガネ男(サラリーマン山田)」なるアダ名を友人たちに付けられたこともあったっけ。当時はこども心に嫌だったけれど、今となっては何だか誇らしい。
徴兵・出征の次に、国が水木さんに対してやらかしたもっとも愚かな行いは、紫綬褒章をはじめとする叙勲でしょう。水木作品「ねずみ男の冒険」(ちくま文庫)に「勲章」という短編があります。勲章や肩書の無意味さを笑い飛ばした快作。大戦中は陸軍二等兵として下士官、将校たちにいじめられ、人に階級をつけるバカバカしさを知る水木さんに勲章を与えるなど、ブラックユーモアだとしか思えません。ことさら派手な衣装を着て、勲章をもらってみせたのは、超一流エンタテイナー漫画家の演出と諧謔だと思います。
今日は、水木しげるの勲章についての考えを知る上で欠かせない寄稿を紹介します。水木さんが親類の叙勲パーティについて触れた1975年11月14日付の朝日新聞夕刊「日記から」より引用します。
(前略)老人の喜びようは、大変なもので、村の祝賀会に始まり、果ては在京の親類縁者一同に大号令がかけられ、なんとか旅館で祝賀会となる。ぼくはビール1杯でわけなくよっぱらってしまうから、いわなくてもいいのに、喜びによいしれている老人に、「勲章というのは、『勲一等人間』『勲二等人間』……『勲五等人間』というぐあいに、人間に階級をつけるもので、ゆくゆくは印度のカースト制みたいに進化するかもしれないから、あまり喜びがオーバーすぎるとまずいじゃないですか、つまり運動会で五等賞になったようなもんですよ」というと老人は笑いをすこしもゆるめず「あんた、そんなこというけどな、わしの村で勲章もらったのは2人しかいねえ」。
なるほど、運動会は選手より見物人がはるかに多いわけだ。いずれにしても、70すぎた老人を喜ばすことは大変よいことに違いない。なにしろ近ごろの老人はいいかげんなことでは喜ばない。しかし軍隊みたいに1等、2等、3等、(兵)と階級があったんでは、喜びも複雑になる。いっそ階級なしに一律に「勲章」とすれば、老人はもっと大喜びするだろう。(引用おしまい)
妖怪や戦争が、水木しげるを語る上で大切なのは当然です。その一方で、日本の文明を捨てて南洋の島に移住しようと本気で考えたり、園遊会で皇族相手に「アンタ」と呼びかけたりした漫画家のバックボーンは、人間あまねく全員が平等である、との思想だったのではないでしょうか。「パチンコサザエさん」や「スロット鉄腕アトム」は存在しませんが、鬼太郎のパチンコ機種はあります。これも、ギャンブルへの偏見や貴賤意識がなかった水木ウェイだったと思えばわかりやすい。
水木しげる不在の新年が、まもなくやってきます。さびしい正月だと思えば、水木さんが嫌うでしょう。「水木ファン全員が水木作品」であると、京極さんの追悼文にありました。水木作品は面白く、楽しくなきゃいけません。
水木しげるの作品の一つであるおじさんは、水木しげる作品とともに生きてきた経験の勲章を飾った胸を張って2016年を迎えたい。水木しげるという勲章に、もちろん等級はありません。