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2015/08/18

高校野球 関東一・オコエ選手の先駆者

純真な球児たちの姿を、曇ったメガネを通さずにそのまま見たい夏の甲子園を、嫌なニュースが駆けめぐりました。関東第一高校のオコエ瑠偉外野手のプレーぶりを、12日付のスポーツ報知が人種差別丸出しの表現で記事にしたのです。アフリカ出身の父を持つオコエ選手に対し、「真夏の甲子園がサバンナと化した。オコエは本能をむき出しにして、黒土を駆け回った」等々と書き散らしました。
紙面を見て驚きました。これはひどい。あるコミュニティにおけるマイノリティを茶化す行為を、大メディアが平然とやっちゃう神経は異常です。署名記事でしたから、おそらくは無意識のヘイト記事だったのでしょう。だからこその無知が恐ろしい。
時事通信社の記者が、官房長官の記者会見の場で沖縄県民を差別するような質問をした事件を思い出します。あの時は記者が部署換え、所属長も処分され、編集局長も報酬の一部を返上したと、報道されました。報知は記事化までしてしまいましたから、さらにタチが悪い。
ジャイアンツがドラフト指名しようかという選手に、読売グループの新聞社がツバを吐きかけて知らんぷりでは、オコエ親子や他の球児とその親御さんらも、巨人を就職先にする気になるでしょうか。
マスコミですらこれですから、オコエ選手がプロ入りしたら無神経なスタンドからその手のヤジも飛んでくる光景も、頭に浮かびます。日本のプロよりメジャーを目指したほうがいいのかも。
教育機関として生徒を守るべき関東第一高校は、本来ならスポーツ報知に抗議してしかるべきだと思います。全国大会の最中に、大メディアに文句を言うわけにもいかない大人の事情があるのかもしれません。大事なことだからもう一度言いますが、メディアが高校球児を傷つけるような行いに至るのは言語道断ですし、学校には生徒の人権を尊重する義務があります。ところが、そんな外野の心配をよそに、オコエ選手は17日の準々決勝で決勝ホームラン。よほど精神力がしっかりしているのでしょう。
今日はオコエ選手の先駆者、異人種同士の父母から生まれ、苦労しながらも甲子園大会の決勝へ進み、敗れこそすれ、延長18回を投げ抜き引き分け、再試合でも一人マウンドに立ち続けた、1969年第51回大会の青森代表三沢高校のエースだった太田幸司さんのお話をします。
太田さんは、白人の彫りの深さが混じった甘いマスクもあって、若い女性たちのアイドルになりました。ドラフト会議では近鉄バファローズが指名。プロ入りが決まった後の同年12月24日付の朝日新聞「おおスポーツ天国 6」より引用します。最近はあまり使われない「混血」という言葉が出てきますが、記事に従いそのままにしてあります。
(前略)今年最高の人気を集めた選手は、まず太田ということになろう。人気の秘密、当然、黄金の右腕だが、おい立ちもまた大きな要素を占めている。
(中略)「女学生は野球のファンとして騒ぐのではなく、自分が、こんな顔をしているからだろう。だからいやだ」と太田はいう。そこには“混血の太田”ではなく“野球の太田”として立派な選手になりたいという欲望がにじみ出ている。小学校のころから「あいの子」といわれ、内向的な性格になっていった太田を励ましたのは、父親、暁(わたる)さんの「お前は必ず大物になる」という言葉だった。暗示ともとれるこの一言が、どれだけ太田を力づけ、反発心をあおったことか。だから、いまではきっぱりいいきる。
「おい立ちは全く意識しないし、もちろんヒケ目も感じない。これからプロ野球にはいって、ますます混血が話題となり、ヤジもとばされるだろうが、それに負けないものは自分の心に出来ている」と。(引用おしまい)
古今東西を問わず、こどもは残酷です。自分たちと顔立ちが違う太田さんをいびりました。いじめられっ子から、高校野球最高の舞台へ進み、プロで何度も年間2けた勝利を挙げた太田さんは、グローバル化が進んで増加の一途をたどる人種・民族が違う両親から生まれたアスリート、いやすべてのこどもたちの手本になるのではないでしょうか。
もう一本、太田さんの負けず嫌いで勤勉な姿を紹介しておきます。同年8月20日付の朝日新聞「ハイライト」から引用します。
(前略)読書好きの優等生でもある。担任の吉田正美先生の話だと、1年生のときの成績は、進学組2クラス86人中のトップ。シーズン中は少し落ちるが、シーズンオフの三学期に盛り返す、という(引用おしまい)
46年前に太田さんが躍動した舞台に残るは、あと4校です。オコエ選手だけでなく、出場選手みんなが全力を出し切ってほしい開催100周年の夏。彼らの才能と努力を生かすも殺すも、メディアと教育者たち次第だという点も、しつこいようですがもう一度言及しておきます。