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2015/07/24

制服向上委員会とニール・ヤング

制服向上委員会というアイドルグループの存在を、最近まで知りませんでした。脱原発や反自民党の歌を売り物にしているんですって。別にいいんじゃないですか。しょせん商業音楽は、「いかなる手法であれ、いかに金儲けするか」が本質です。反権力をアピールして、他との差別化を図るのも立派な商法だと思います。
爆笑問題が、ラジオ番組で彼女たちに噛み付いたのはスジが悪いですね。今や安倍晋三首相の友人として有名な漫才コンビが、大手レーベルに所属していないインディーズ(自主制作)歌手を攻撃するのは弱い者いじめじゃないですか。権力側の人間が、異論を唱える相手を排するのは、自民党の勉強会に近い精神構造の言論弾圧ではありませんか。
ほぼ同時期にアメリカでは、共和党の大統領候補ドナルド・トランプが、カナダ人歌手ニール・ヤングの「Rockin' in the Free World」を無断でキャンペーンソングに使用したとして、ヤング側から抗議を受けたとのニュースがありました。
ブッシュ・シニア政権時代の弱者切り捨て政策を風刺した強烈な歌詞を持つ、この一般市民のためのデモクラシーアンセムを、よりにもよって不動産ボンボンの富豪が、新自由主義万歳メッセージに曲解させようとしたんですから、ヤングの怒りのほどもわかろうというものです。
彼のニューアルバムは、遺伝子組み換えで有名な巨大食品企業モンサントやスターバックス・コーヒーを告発する「ザ・モンサント・イヤーズ(The Monsanto Years)」。大手レーベルから世界中で発売されます。
日本で政権批判をする歌はインディーズでの販売で、米国で大企業にケンカを売るアルバムがメジャー発売されるのはどうしてでしょう。
我が国には、本来なら民主主義国家に存在してはいけないはずの歌詞の検閲機関があります。レコード製作基準倫理委員会(レコ倫)といいます。 1952年、好景気に浮かれ始めた世相に背を押されるように、露骨な性表現を売り物にした「タマラン節」などのいわゆる「エロ歌謡」ブームが起きます。 文化放送が社内に放送倫理規定を作り、規制に乗り出すと、レコード業界団体もおっとり刀で自主規制に舵を切りました。1952年11月7日付の朝日新聞「実際は2月新譜から それまで倫理規定どうさばく」から引用します。
文化放送がエロ歌謡曲を締め出したあとを追っかけて、レコード文化協会が「レコード製作基準」を発表した。「国家及び社会公共安寧秩序を乱したり、良い習慣を破壊し、悪い慣習を助長して国民の健全な生活を害するようなことがらは取り扱わない」など、まことに結構な主旨。
文化放送の「娯楽番組取締規則」の実例をあげているのに比べると、ちょいと抽象的すぎる。原案は相当に具体的だったといわれているが、流行歌はレコード会社のドル箱だから、倫理規定などでしばって売れなくなったら大変、と経営者側から強硬な意見も出て、結局自じょう自縛に陥らぬ程度でお茶をにごしたらしい。(引用おしまい)
「国家及び社会公共安寧秩序を乱したり、良い習慣を破壊し、悪い慣習を助長して国民の健全な生活を害するようなことがらは取り扱わない」。どうとでも取れますね。政府与党、国会議員の汚職、宗教などの権威、性の問題……。全て表現してはいけない項目になり得ます。
自主規制に名を借りたこの検閲組織は、大衆音楽の表現の自由を妨げる元凶として今も機能しています。今日はその一例として、1980年11月の「光州シティー事件」を取り上げます。
この年の5月、韓国で民主化運動の活動家らを軍が弾圧、大勢の死傷者が出ました。「光州事件」です。在日韓国人2世の歌手白竜さんが、事件をモチーフにした曲をレコード化するとの記事が朝日新聞に載った直後、レコ倫から発売中止の圧力がかかりました。同月12日付の朝日新聞「『光州シティー』LP化消えそう」から引用します。
(前略)ロック歌手・白竜=本名・田貞一さん(28)の、初めてのLPになるはずだったアルバム「シンパラム」が、発売されずに葬り去られようとしている。収録されていた8曲のうちの1曲「光州シティー(光州City)」(別称「バーニング・ストリート」)に対し、レコード業界の自主規制機関「レコード製作基準管理委員会」(通称レコ倫)がクレームをつけ、これを受けた発売会社のポリドールが発売を自粛してしまったためだ。白竜は、理由が納得できない、として10日開かれたレコ倫の定例会議に説明を求める質問状を出したが、レコ倫側は「レコード会社にアドバイスする機関であって作者に説明する筋合いはない」と“門前払い”。白竜は、あくまで納得できる説明を求め、規制の壁に挑む。
このアルバムは、キティ・レコードが原盤を製作、ポリドールが販売する契約で8月26日、ポリドールのスタジオでライブ録音された。10月28日発売の予定で製作が進められていたのだが、10月になって、まずポリドール側からクレームがついた。「『光州シティー』は好ましくない」という電話が白竜側に入ったのは、なぜか、このページで白竜の歌を取り上げた翌日の10月2日。
10月9日に開かれたレコ倫の定例会議では、内容が政治的で生々しい、などの理由で発売を好ましくない、とする意見が大勢を占め、ポリドール側はこの会議の場で発売自粛を表明した。白竜の所属プロダクションにポリドールから届いた文書によると「素材内容が極めて政治色が強く、特に現在日本国内外に於いて日韓関係諸般に微妙な問題を有する実状から弊社として、これを敢えてレコード化することは好ましくないと判断……レコード管理委員会に於いても、韓国の極めて最近の事件として余りにも生々しく国内外に不測の影響を及ぼす虞れ(おそれ)が有り発売は好ましくないとの意見多数のため」と、発売自粛の理由を説明している。(引用おしまい)
こんな組織があるからには、日本の大衆音楽に表現の自由などカケラも存在しないとの事実がわかりますね。今年初めの紅白サザンオールスターズ騒動が、お手盛りのマッチポンプであった証左でもあります。
白竜さんに対するレコ倫側の説明が、ふるっています。引き続き同記事より引用します。
レコ倫の幹事でもあるレコード協会事務局長・亀井寿三郎氏は、10日、白竜との話し合いの中で、「表現の自由を守るために、自主規制がある」と強調した。確かに、自主規制の結果、レコード会社が国家権力による規制や、政治的圧力を受けることはなくなるだろう。しかし、消費者に、規制の実態は隠され、規制の内容は厳しくなり、レコードの内容は当たらずさわらずの「安全な」内容のものになって行く。「こういう目に見えない不当な力に対して戦うことがボクの歌だ」と、白竜は言う。(引用おしまい)
お上が手を下さずとも、業界が勝手にルールを決めて萎縮・自粛すれば、そこに表現・言論の自由が呼吸する場所はありません。戦前の新聞も、各々で自分の手足を縛り上げ、戦争推進に大いに貢献しました。
レコード業界の自主規制をかつて取り上げた朝日新聞をはじめとするメディアは今、性懲りもなく萎縮の縄で自らを縛ろうとしているように見えます。マイナー系制服アイドル美少女たちが、大新聞の大の大人を尻目に表現の自由を謳歌している日本の光景を、ニール・ヤングが見たらどんな歌にするでしょうか。