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2015/07/23

「まれ」の草笛光子と、乙羽信子

おじさんがこどものころ、「ケーキ屋ケンちゃん」(TBS系)というドラマがありました。高度経済成長を背景にこどもたちの食生活が豊かになり、「洋菓子店の息子」は第二の脱亜入欧を正義としたガキどもの羨望の的になり、大ヒットしました。
朝の連続テレビ小説「まれ」は、パティシエになる主人公のお話です。飽食のバブル期を終え、どんなフランス菓子でも手に入る情報化時代に、洋菓子職人を主人公として提出する。そこには、制作者のいかなる意向が秘められているのか……。
わからん! 100話を過ごしても理解できません。入れ替わり立ち代わりのドタバタがあって、中華屋ケンちゃんでもIT屋ケンちゃんでも何でもいいブツ切り物語には、ケーキ屋である必然性がないんです。朝っぱらからベチャッとキスする男女のどアップが流れた時には、「洗濯屋ケンちゃんかよ!」と、チャンネルをさっさと民放に替えました。正直、「まれ」とは肌が合いません。
それでもなぜチャンネルを合わせるのかといえば、草笛光子さんがたまに出演しているから。おフランスのパティシエ・ロベール幸枝なんてバタ臭いばあさんを演じて説得力を持ちえるのは、いまだ草笛さんか、高校同窓の先輩岸恵子さんぐらいでしょう。
この人、80歳を過ぎているのに毎回芝居が新しいのに驚きます。大御所然としていない。フレンチ夫を連れてきた場面など、他の共演者より演技自体が、ぱあっと若く感じられる時すらあります。
役が終わればそれを捨てて、次の人物を身体に入れていくのが俳優のやり方の一つだとはいえ、それなりの地位を築き高齢になればそれもおっくうになるものでしょう。草笛さんより年下なのに、そういうワンパターンになってる人、大勢いますからね。これはサラリーマンなど異業種でも同じ。
彼女の若いころのインタビューを読むと、一つひとつの仕事を次へのステップにしたいとの意欲にあふれています。曰く「もっと大きな女優になるためにワイドショーに出る」、曰く「ブロードウェイみたいに80歳になってもミュージカルやりたい」。仕事欲の固まりです。40歳を過ぎると、肉体の衰えを認めながら、女優としてさらに上の段階を求める言辞が出てきます。それを現在まで貫く姿勢は、なかなかマネができるものじゃありません。おじさんの心中では現在、草笛光子マイブーム真っ盛りです。

ここで、光子豆知識。ハマっ子。少女期は虚弱体質で人見知り。戦中の集団疎開でも周囲となじめず、戦後もコミュニケーションが苦手だから電車にも乗れずに歩いていたら体力がついた。松竹歌劇団から映画界へ。東宝時代に日本テレビのミュージカル番組「光子の窓」で、日本初のTVミュージカルスターとして大ブレイク。ミュージカル女優だから、関西弁の役のイントネーションはドレミファに置き換えて覚える。「アフタヌーンショー」(NET系・現在のテレビ朝日)のホステスとして、女優がニュース番組を仕切る嚆矢となる。あまりの人気に移動スケジュールもままならず、A局のスタジオでB局スタッフが草笛番組を放送する珍事が起きるほど。歌にダンスに日舞も一流。白髪染めのCMに出た時(共演・伊藤雄之助)は、ネットなんかない時代に「あの草笛もついに毛染め」とニュースになる。今の見事な銀髪は、実は昔からの若白髪で当時は黒く染めていた。舞台では山田五十鈴と五分に渡り合う演技者。仲良し実母が長い間マネージャーとして支えた親子鷹。酒豪。

ほんの一端ですがキリがない。とにかく、本物の芸能人です。トータルに一流の芸能を持つ人。テレビに出るだけのゲーノー人とは違います。映画作品も多数。個人的には、成瀬巳喜男監督の「女の座」が好きです。高峰秀子、笠智衆、三益愛子、淡路恵子、杉村春子、加東大介らスターや芸達者に囲まれて、30歳過ぎてから初恋に狂うワガママ女なる、難しい役を熱演していました。
1視聴者の勝手な思い込みなんでしょうが、「まれ」の草笛さんに、老境に入ってからの乙羽信子が重なるんですよ。「草笛=オキャン(注・昔の流行語でお転婆の意)」「乙羽=お嬢さん」と、イメージが違う女優なのになぜでしょうね。
今日は、乙羽が茶の間のお母さん役としてブラウン管に出ていた頃の1976年12月11日付の読売新聞夕刊「顔 乙羽信子」から引用します。
(前略)芸歴は長く、役柄は広い。
「ベストを尽くしてきたつもりだから、それでダメなら、それしか力がなくて、あきらめなきゃしょうがないと思うんですがね」
やや早口で言ってから、目がキラッと光って、「その反面ね、一からやり直さなきゃいけない。まだまだ勉強足りないんじゃないかってね。そういうことの繰り返し」
大阪の和菓子屋の一人娘に生まれ、小学校を出てすぐ宝塚へ。戦後(昭和)25年に大映入りして、ご存じ“百万ドルのエクボ”。
「あれは宣伝文句がほかにないから使ったんじゃないですか。ホホホホ」
(中略)和服姿。まん丸い顔とは対照的に、クールな語り口。
「年と共に、人間の味とか、シワにふさわしい芝居ができるっていうことは、中身も充実してないと。だから、わたしなんか、青臭いような気がするんですよ」(引用おしまい)
乙羽信子が死期を悟りながら演じた遺作「午後の遺言状」を思い出します。体調がすぐれぬであろう中でつくり上げた、過去の演技に拘泥せぬ、かったつな表情が忘れられません。おそらくはおじさんの自己満足でしょうが、この記事を見つけた時、「ああ、これか」と得心しました。草笛さんと乙羽信子の姿勢に共通する、現状に満足しない姿勢が少しだけ見えたような気になりました。
朝ドラも大河ドラマも、いったい何本出てるんだというくらい出演頻度の高い草笛光子さんは、来年の大河「真田丸」にも出演します。80代にして、この元気、この需要。
スカスカのスポンジのみで作られたケーキのような「まれ」ですが、共演者たちは彼女に学ぶところがたくさんあったかと思います。芸能の世界に限らず、年金問題などの不安を抱えて老年期をいかに過ごそうかと悩む一般人には高すぎる理想かもしれませんけれど、仕事への欲のまま新しい演技への模索を続けるその姿は励みになります。