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2015/04/22

朝ドラ「まれ」と「あまちゃん」

NHK朝の連続テレビ小説「まれ」の見どころの一つは、若い俳優さんたちの演技です。とにかく一所懸命なのが気持ちいい。ニコニコしながら鑑賞しています。
粗削り、大いに結構。粗削りと「雑」とは違います。主人公の弟役の子なんか、ぼーっとしているように見えて、邪魔にならない小芝居を時々入れてきます。それなりに工夫してるんだね。みんなで今のうちに、もがけ、もがけ。若い間に未来を信じて今をもがけば、きっと良いことがありますよ。
そんな若手の汗を、年長者のスタッフが台無しにしないよう願います。役者がすでに表現している心理描写を、いちいち説明してくれやがるナレーションや、前作同様の盗み聞きで話を進めようとするプロット立ての安易さが心配です。
特に朝から耳ざわりなのが、音楽の使い方。言語が代われど、15分間に同じ歌を二度も聴かされる視聴者はたまったもんじゃありません。東京行きを周囲に反対された友人をかばうヒロインのセリフがバカでかいピアノ演奏にかき消された時には、開いた口がふさがりませんでした。
一方、BSで始まった朝ドラ「あまちゃん」の再放送。やはり劇伴音楽の頻度がやや高過ぎるとは思います。でも、音楽が大事に使用されていると十分に感じさせられます。
月曜日にだけ流れるテーマ曲のカッコいい転調パートも、視聴者サービスとして満足していますけど、特に言及したいのがスネアドラムの音。
スネアドラムというのは、鼓笛隊だと、お腹の前でタッタカターと叩く楽器ですね。おじさんは楽器ができないクセにスネアの音にこだわる病気持ちです。
その音が曲に合っているのか、どこにアクセントを付けてくるのか。どんなナンバーであっても、曲調を決めるのはスネアだと信じています。「あまちゃん」のテーマ曲は、その点が素晴らしい。変なデジタル効果を加工せずスネアの音色を壊していないところにも好感が持てます。衛星放送を見られる環境にある人は、一度「あまちゃん」のスネアドラムを聴き直してみて下さい。この作品は、音楽をないがしろにしていません。
芸能の世界に生きるフロントマン、フロントウーマンたちは、常に公衆監視のプレッシャーの中で暮らしています。制作のエゴや短慮による妙な脚本、おかしな演出、いい加減な劇伴が行われたら、彼らの精神が一気にぶっ壊される危険性があります。タレントとは、取り扱い注意のこわれものなのです。
かつて白木秀雄というジャズドラマーがいました。映画「嵐を呼ぶ男」でも、石原裕次郎の影武者として見事なスネアプレイを聴かせた天才肌でしたが、残念な最期を迎えました。1972年9月1日付の朝日新聞夕刊「敗残のドラマー  孤独の死」から引用します。
(前略)1日午前2時半ごろ、東京都港区赤坂(注・以下の住所とアパート名は省略します)2階5号室からへんなにおいがすると、階下の人(注・個人名省略)が一一〇番した。赤坂署員が、同室のドアを破ってはいったところ、ベッドにパンツ一枚の男がうつ向けで死んでいた。アパートの人が「芸術家のような人ですよ」というので、持物をくわしくみたら白木秀雄さんとわかった。
(中略)白木さんは昭和20年代の後半から、日本の若者の間でブームとなったジャズ界で、トランペットの南里文雄、クラリネットの鈴木章治、そしてドラマーとしてはジョージ川口、フランキー堺と並ぶ人気プレーヤーだった。なかでも、芸大1年に在学中、ブルーコーツのドラマーとしてデビューした異色で、基礎のできた優秀プレーヤー。戦後のくすんだ社会の中で、汗をふりしぼってたたきまくるドラマーの姿は、当時の若者たちにとって英雄だったとさえいわれた。
昭和34年、当時ジャズ歌手でもあった水谷良重さんと結婚、映画やテレビのドラマにも出演するようになった。ところが38年、「いつわりの生活は続けられぬ」と離婚。その後、1年ぐらいはそのまま仕事を続けたが、かつては酒もタバコもたしなまなかった白木さんが、睡眠薬を常用するようになり、仕事をすっぽかすことなどもあったという。
そして3年前、突然、ジャズの仲間の前から姿を消した。「白木秀雄クインテット」時代の仲間、世良譲さんらが、なんとか社会復帰させようと仕事を捜したが、うまくいかなかった。
(中略)月2万5千円の部屋はベッド、洋服ダンス、小さな冷蔵庫などで足の踏み場もなく、現場検証した警官たちは、「これがあの花形ドラマーだったなんて……」と息をつまらせた。(引用おしまい)
検死の結果、白木の死因は精神安定剤の飲み過ぎだったと判断されました。往時の日本ジャズ界を牽引した花形プレイヤーは、6畳一間の木造アパートの一室で、死後10日を経た腐乱死体で発見されました。
白木の心に何が起こったのか、今となってはわかりません。ですが、同じ悲劇は、ミュージシャン、タレント、俳優を問わず、「常時監視」される商売にかかわる者であれば、だれにでも起こり得るのではないでしょうか。
天狗になる輩は論外としても、「まれ」での必死な若手たちの役に向き合う姿勢を見るにつれ、それを潰すような演出、音楽の乱用は控えてもらいたいんですよね。未熟ながらも必死に役を務める彼ら、彼女たちの神経を悩ませるような作劇は即刻やめていただきたいとお願いします。