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2015/03/10

東京大空襲、沖縄、そして東日本大震災

東京大空襲から70年。関連のニュースが新聞に載り、テレビで流れました。3日後には、少なくとも関西圏では大阪大空襲が取り上げられるのでしょう。
犠牲者が大人数であるほど悲劇性は増しますから、語り継ぐことには意義があります。一方で、京都や奈良、金沢などの例外を除いて、全国の都市部はあまねく破壊されています。大都市の被害を大きく扱うゆえに、そちらがわい小化されてはいけませんね。戦争が生むゆがんだ地域差別を意識することは大事だと感じます。
例えば沖縄。普天間に行けば、米軍機の発するソニックブームに圧倒されます。街の真ん中に基地が鎮座しているため、クルマでの移動は不便を極めます。
基地は辺野古に移設する方針ですが、その是非をヤマト国民は無関心に放っておくままでなく一考してみる義務を負うと思います。
東京大空襲からちょうど20年後の1965年3月10日付の毎日新聞「沖縄出身戦没者にも叙勲  27日にまず200人発令」から引用します。年号は昭和です。
政府は沖縄出身戦没者に対する叙勲の発令について米国側と話し合っていたが、9日午後、米大使を通じて沖縄の米民政府から「異議はない」という正式回答があった。このため27日発令する第12回戦没者叙勲から沖縄の戦没者も含むと発表した。
太平洋戦争で肉親を失った沖縄の遺族関係者の願いも、これで戦後20年目にやっとかなえられることになったが、27日にはとりあえず、約200人の同島出身の下士官、兵を対象に叙勲が発令される見通しである。
沖縄は太平洋戦争でも最大の激戦地だけに、犠牲者も多く、戦没者は約5万3千人にのぼっている。内訳は陸海軍部隊の軍人4万8千人、軍属5千人だが、軍属の中には健児の塔の沖縄一中、二中、ひめゆりの塔の沖縄女子師範生なども含まれている。
しかし、これら終戦時上陸した連合軍と戦い、なくなった戦没者の叙勲は手続上41年以後になる見通しで、27日から行われる叙勲は開戦間もない16年から17年にかけてほかの戦場で戦死した戦没者を対象に行われる。
なお、厚生省の調べによると昨年4月から始まった戦没者叙勲は2月末までに約12万人が勲章と勲記の伝達を終えているが、こんど発令される沖縄出身の200人の戦没者は戦時中に勲章の伝達を受け、勲記の伝達だけが終わっていないような人々である。(引用おしまい)
いくら当時の沖縄が米国統治下だといえ、たかが勲章一個出すのにもアメリカ様のご機嫌をうかがう皇国がみっともないです。彼らは神国日本のために戦い、死んでいったのですから。皇民教育を受けて、死んでも勲章授与なんかで差別されたウチナンチュのどこに立つ瀬があるというのでしょうか。
日本人が悲劇と持ち上げ、同情盛んに真実わかったかがごとく、反戦だ、不戦だと床屋談義まがいの具にするひめゆりの塔の女性たちだって、日本政府の扱いはこんなものでした。
明日は東日本大震災4周年。被災地の多くは、人口密集地帯ではありません。国が誤った電力政策のせいで、広い国土が放射能汚染に見舞われています。何とかしなくちゃ。国民が何とかしなくちゃ。
オキナワが忘れられかけているように、明日はトウホクが棄てられることがないために考える日にできれば、と願います。