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2015/03/15

「花燃ゆ」第11話感想「呆然の変」

3月13日の深夜に放送されたNHKのドキュメンタリードラマ「走れ!三輪トラック」は、残念な出来でした。
東洋工業(現・マツダ)が戦後の広島の復興に挑む好題材ながら、下請けの再開を断った町工場のオヤジが原因不明の心変わりで、歯車いっぱいこしらえて突如会社に押しかけてくるなど、視聴者への動機提出なき不規則行動が「花燃ゆ」と同じ脚本構造。伊武雅刀さんはじめ俳優が皆がんばっているのに、セリフに大げさな音楽をかぶせ倒して台無しにする「花燃ゆ」的演出。
そしてこのドラマにもっとも欠如していたのは、被爆した広島に対する登場人物たちの愛情の理由を具現化する作業でした。このまま「花燃ゆ」や、その亜種毒である「マッサン」構造が放送局の全身に回っていくと、日本のテレビ作劇感覚は根腐れを起こしてしまうと危ぐします。
さて、その「花燃ゆ」第11話。ラブラブ回顧と江戸のパティシエ本の話に、初手から視聴意欲が失せます。「心がときめきまする」ってどんなセリフ? 心臓がどくどくいう、「心臓」が転じて「心」。ときめくのは心に決まっているんだから、これ「馬から落馬」のごとき重語ではないですか。椋梨藤太も長州藩の重臣のくせに「ご公議(尊称)が欲しておる(敬語なし)」なんて、いい加減な言葉遣いですね。こないだBS1の「国際報道2015」でも、有馬嘉男キャスターが「ウクライナ停戦のカギを握るキーマン」なんて重語かましてたからなあ。この局の国語、大丈夫?
主人公の姉のキャラが変わりました。悋気まみれのケチくさい自己チューに何があったのか、押し付けがましいほどの猛烈妹思いに変身。松陰の言葉通り、「藪から棒」なイメチェンです。姉のセリフにあった「これ以上、都合よく使いまわすのはお止め下さいませ」は、俳優たちの心の叫びなのですか? 塾を譲った奥田瑛二さんも、新塾には顔を出しません。こりゃ都合よくないと思いますが。
久坂玄瑞がいじられる、初恋中学生の放課後みたいな場面には言及したくありません。脚本イタい、セリフのある役者を追うだけの演出サムい、棒を持った演技者も棒。何を語れと?
このドラマはなぜか、本来達者な若村麻由美さんの芝居を崩壊させるのが好きです。吉田松陰を「国禁を犯した大罪人」呼ばわりしておきながら、同じ口で大罪人シスターの婿探しを保証。さわやかなBGMでコーティングしていたこの場面、下心無しなんでしょう。どうせすぐに久坂とひっつけるから適当に流せってか? 若村殺しは今回も健在。
前原一誠と杉母との会話から、驚愕の事実が発覚しました。この家、風呂あるんだ! 家風呂なんて、江戸時代どころか昭和40年代くらいまでは裕福な家のステイタスでしたよ。松陰、実はボンボンやないかい。視聴者は暮らしぶり心配して損しましたね。
一方、小田村伊之助の暗躍が目に余ります。椋梨ー周布の対立構図の間をコウモリのごとく飛び回り、藩政への介入を画策。こんな善玉、過去にはいません。本気で嫌われ者だらけのピカレスク大河にするのかと邪推していたら、久坂が出てきてこんにちは。ご政道と色恋沙汰をごっちゃにした進行が画期的ですけど、「心を偽るなど、生きていく上では当たり前じゃ」と牽強付会な小田村。お前がやっているのは、我が心を偽って生きるになく、他人の心を偽らせるためのラスプーチン的運動だろうが。小田村伊之助とは、こんな野郎だったの?
その小田村の手紙の二人称が「お前」。江戸時代はもちろん、電子メールだって「お前」なんて乱暴な書き方はしません。小中学生に大人気のLINEではこんな言葉が行き交うのかもしれません。吉田松陰と小田村伊之助はLINEで連絡を取っていた?
この手紙にある、久坂・文の結婚の根拠、「決しておのれを曲げられぬ男」「温かく人を見つめ寒風にも折れぬ木のような女」がだれなのか、視聴者には知らされていません。そんなシーンありませんでしたからね。
恋愛よりもっと重大な事柄も抜け落ちています。今回問題となっている「通商条約」がどんな代物であるのか、全く示されていないのです。視聴者は、ドラマが条約をいかなるものとしてとらえ、それを巡る長州の人々の生き様の根拠が那辺にあるかをまるで知らされないまま、重臣の対立だの御前会議だのをだらだらと見せつけられています。歴史の視点が何もない。「走れ!三輪トラック」の人物たちに、広島への愛情の源泉が描かれていなかったことと同じく、人間の行動の立脚点の思考に欠けるドラマばかりが平然と作られている、この現状。公共放送に何が起きているのでしょうか。
大河ドラマの混乱は過去にもありました。その一つが、1974年の「勝海舟」です。
勝役の渡哲也さんが病気で降板、松方弘樹さんが東映から呼ばれます。さらには倉本聰さんがNHKと対立し、脚本家も交代してしまいます。制作現場はトラブル続きだったらしく、収録を終えた松方さんは、他メディアに不満をぶちまけました。俳優が雇用主であるテレビ局を攻撃するとは、異例中の異例です。同年11月5日付の朝日新聞「松方弘樹がNHK拒否宣言」から引用します。
(前略)「NHKにとっては、役者なんて、機械にしかすぎないんだ。渡(哲也)君が病気になりゃ、ハイ、お後は松方って具合。部品交換さ。風邪をひいたって、本当に心配してくれるわけじゃない。健康診断を二回もさせられたけどね。渡君もこぼしてた。入院したらそれっきりだってね」
このドラマを担当していた倉本聰が、途中で執筆をやめた。そのトラブルが松方を硬化させたようだ。
「脚本家が交代したことを、だれも連絡してこない。主役のぼくさえ、本読みの場に行って知った。1カ月前に決まっていたっていうじゃないですか。民放や映画会社じゃ、ありあえないこと。本屋さん(脚本家)が代わるってことは、セリフの調子がまるで違ってくることだ。句読点や、語尾が微妙に……」
「倉本さん辞退の原因だって、NHK側の誠意のなさからです。泣いてましたよ、電話で。いっしょにやめる気になったけど、ファンに申しわけないし、続けました。同じ気持の役者、いくらもいましたよ。陰でブーブーいってるんだが、大NHK相手なんで黙ってる……」
ギャラの問題もあったらしい。やはりNHKドラマ「人形佐七捕物帳」へ出演歴のある松方で、民放の5分の1。「貢献度」のまだ低い萩原健一は何十分の一とか。
「いや安くてもいいんです。無料だって出演したい作品はある。スタッフや制作側と呼吸が合った時です。役者って、そんなお人好しですよ。ところが、NHKの偉い人にはそれがない。ショーケンと出演料の話をしていたら、近寄って『安くても知名度は高くなる。そうすりゃ、民放のギャラがあがりますよ』というんです。ありがたく思え、って発想ですね」
「日本を代表するテレビドラマだって宣伝してるためか、外国の大使とか、政治家連中がスタジオ見学に来る。撮影は一時ストップですよ。ライト変えまでする。ものを作る気概がないね。演出陣も勉強不足。映画なんて見てない。酒を飲みに行っても、話が合わないもの。いや、メークとかカメラとか、下積みの方はいい人が多いですけどね」
「最初から終わりまで、海舟という人間がすきじゃなかった。非凡なんだろうが、政治家らしい臭みを持ってる。世渡りがうまいんだ。ところが、NHKには海舟タイプがいっぱいです。上に昇るほど、多くなっていく。渋谷の放送センター、あそこに一日いると、自分までおかしくなるよ」
こうした批判にNHKの硲(はざま)光臣・芸能局ドラマ班担当部長はこういう。「倉本さんも怒っておられるが、こちらにも言い分はあります。でも、作者交代を松方さんに連絡しなかったのは、申し訳なかった。連絡ずみと思っていた。NHKの体質を問題にしておられるが、映画とテレビは違う。映画出身の松方さんは、なかなか理解してくれない。誠意は尽くしているはずだが……。大組織なので、チームワークを大切に、裸と裸でぶつかり合えるよう、気をつけてもいるつもり。でも、NHKばかりが無理強いしてるわけじゃないですよ。その辺も、話し合えばわかってもらえるはず……」(引用おしまい)
このころ、まだ松方さんはトップスターではなく、下手すれば仕事の場を失いかねないリスクを抱えての発言でした。 入院した主演俳優への無配慮、脚本家交代を役者に伝えない落ち度。特に後者、NHKが認めている方は、劇作品を作る人の態度ではありません。
当時、公共放送に何があったのでしょう? 労使対立が激しかったのは確かです。会長は、田中角栄に送り込まれた元郵政事務次官の小野吉郎。政府自民党に都合の悪い番組や報道姿勢には厳しいチェックが入っていました。
ジャーナリストや劇制作のプロを自認する、プライドの高い仕事人たち相手にあれもダメ、これも禁止となれば、どんなモノが出来上がるのか。当然、やる気のないルーティーンワークになります。報道なら政府が右と言うものは右とする。制作なら人生や社会を切り取って料理できる三ツ星ランクのシェフが、レトルト食品ばかりを客に出す。
大河、朝ドラ、地方発ドラマetc.がつまらない。軒並み本当につまらない。原因は何でしょう? 責任はだれにあるのでしょう? どうしたら面白いテレビ番組が見られるようになるのでしょうか。