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2015/02/28

春香クリスティーンと三島由紀夫

春香クリスティーン著「ナショナリズムをとことん考えてみたら」(PHP新書)読了。安倍晋三総理大臣の靖国参拝を巡りネトウヨに攻撃されたり、原発問題では反対派に指弾されたりした経験をベースに自ら取材を重ね、右や左へ意見を右往左往しながらも「前」に進むために考えましょう、という内容の本です。
10代後半から20代の若い世代に特に読んでいただきたい。レッテル貼りはやめましょう、反対意見も聞きましょう等々、23歳の女の子が語ります。そんなの彼女に任せちゃった日本のいいオトナは何やってるんだ。
こんな至極当然のことでも、テレビタレントが口にするとたたかれるご時世だから大変ですね。でも、この姿勢は芸能活動にプラスです。あまたいるタレントの露出絶対数は限られていますから、美貌だけが消費され続ければ、早晩次の人間に取って代わられます。生まれながらに複数の文化を知る、いわゆるハーフといわれる芸能人がその素地を生かして発言することで、春香クリスティーンさんは容姿以外の付加価値も得たと言えるでしょう。
本書でわかりにくかったのは、頻出する「愛国」という言葉の定義です。春香さんのように単一のナショナルアイデンティティを持たない人は、この言葉をどう感じたのでしょう?
第2章中の「言論行動派右翼」鈴木邦男さんとの対話に、三島由紀夫の話が出てきます。三島は45年前に東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で総監を人質にして憲法改正、クーデターを隊員に訴えた末に割腹自殺した作家。
鈴木さんは「三島が掲げたのは『愛国』でなく『憂国』」だと言います。 実際、三島は「愛国心」という言葉を嫌いました。事件を起こす2年前に「この言葉には官製のにおいがする」と言い、その理由を「愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである」との一文を残しています。春香さんの立場なら、父親の母国は大事だけど母の国はどうでもいいなんて考え方になりかねません。
「憂国」は国を憂う問題意識を感じさせますが、「愛国」には無条件な国への追従の語感があります。思考停止とも思える「愛国」に漂う「官製のにおい」は、作家が喝破した真実だったのかもしれません。
今日は三島が起こした事件の翌日、1970年11月26日付の読売新聞「今日の断面」から、高木健夫記者の解説記事「右にも左にも焦燥感」を紹介します。以下に引用します。
(前略)いま、日本は「軍国主義復活」の危険を国際的にも、左右両陣営から指摘されているが、この事件によってかれの死と行動が五・一五、二・二六(注・ともに戦前の青年将校の暴発事件)を連想させ、テロによってファシズムへの傾倒を深めるものとみられる危険もあるということは、大きなマイナスであるというべきだろう。
さらに、自衛隊に対する“軍隊”としての国際的な評価がどう変わるか、という点である。これがもし、アメリカのペンタゴン(国防総省)であったら、おそらく三島ら5人は衛兵によって射殺されるか、直ちに逮捕されたことであろう。それが“軍規”というものである。自衛隊はそれをやらなかった。人名尊重か、話し合いの民主主義か知らないが、ひとにぎりのテロリストの前に全隊員が集まって、そのアジ演説を聞く、というそんな“軍規”がどこにあるものか。しかも、おのれの指揮官が日本刀で脅かされて監禁されている、というのに。三島らは自衛隊を父とも兄とも思いながら、行動においてはこれに造反したことになる。
第三に、日本人のハラキリは、日本人の暗い面のイメージとして国際的に定着し、それが第二次大戦の敵国日本につながっていると思うのだが、ここでもまた、三島の作家的美意識の発露ーーかれの作品「憂国」を地でいったハラキリは「日本の美しさ」どころか、日本人の変わらぬ野蛮と原始性を裏づけることにもなりかねない。
日本には、右にも左にも、異様に切迫した危機感と焦燥感が渦巻いていることは否定できない。それが無気力と暗い取り引きに明け暮れる政治の背景から生まれたものだとしても、こんどの事件が右に左にハラキリによる改憲要求のような狂気の連鎖反応を生み出すことだけは、なんとしてもごめんこうむりたいと思う。(引用おしまい)
軍国主義復活に改憲ムード。今と似た空気だったのでしょうか? 当時と今とが大きく違うと思われるのは、右とか左とかの線引きがもう少しはっきりしていて、どちらでもないノンポリでも平気でいられた点でしょうか。ウヨクやサヨクを自称するには、もう少し敷居も高かったかな。物言えばネトウヨだブサヨだと、われ知らず他人にジャンル分けされる性急な時代ではなかったように思われます。最近は言論テロも自分のケツを拭くことなく、やりっぱなし、逃げっぱなし。三島のころと空気、だいぶ違うか。
「右でも左でもなく前へ」。春香さん、いい考えだと思います。一方で、過去という後ろ側を多少知っておくことも、前のめりになりがちな時の補助ブレーキとして役立つのかな、と考えることがあって、こういう歴史メモみたいな代物をちょこちょこ書いてみるのです。