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2014/12/23

戦車ナメるな、国肥やせ(1)

戦争映画「フューリー(Fury)」を見ました。何のきっかけもなくコロコロ変わる登場人物たちの感情、強引な展開のための唐突なイベント(ドイツ軍の極々小規模な空爆、十字路にぽつんと1個だけ埋められた地雷)など、ご都合主義の塊みたいな映画でした。ブラピ、カネ返せ。
特筆すべきは、ドイツ兵がバカぞろいだということ。遠距離戦で、米軍戦車を撃破できるアドバンテージを持つティーガー(Ⅵ号)戦車単騎が、多勢の米軍戦車相手に元寇の鎌倉武士よろしく猪突特攻します。脚本と演出は、も少しリアリティ追求してぇな。
作品冒頭、米独戦車の力量差が説明されます。米軍のM4シャーマン戦車は、独軍の戦車にかなわないという話です。しかし、そのM4が敵戦車に対して、圧倒的優位にあった戦場がありました。太平洋です。
日本軍は戦車の役割をナメていました。技術力の低さもありましたが、戦車戦ができないガラクタをせっせと造っていたのです。
靖国神社の遊就館という建物に、日本軍の九七式中戦車(チハ)なる「戦車」が飾ってありますが、その玩具みたいな勇姿を見ると、戦前の我が国が、いかに兵隊の命を軽視していたのか痛感します。
さすがの陸軍も敗戦間近になると、その実力差を認めざるをえなくなったようです。機甲本部少佐のグチに近い本音が新聞に載っていました。1945年2月19日付の朝日新聞「敵米国の戦車」から引用します。
(前略)アメリカは何故これほどまでに戦車部隊に力瘤を入れるのか。その理由はいろいろあろうが、要するに歩兵の出血を出来る限り防ぐため機械的物量に頼ろうとするのが根本的な精神であることに間違いはない。
今日までの米軍戦車(装甲)部隊に編成の過程を振り返ってみてもそれははっきりとわかる。米軍にしても英軍にしても、欧州戦勃発後はじめて機甲用法というものを新たに考え直すにいたったのは実にドイツの機甲兵団の目ざましい活躍を見せつけられたのが原因であって、それまでは各歩兵師団に小兵力分散の形で戦車を持っていたのを、急いで戦車(装甲)兵団へと改編するとともに、若干の総司令部直轄の戦車隊を編成したのであった。歩兵の直接支援に任ずる独立戦車部隊を増設して今日にいたったのである。
例えば先の米軍のシシリー上陸作戦では、にわかに戦車師団を二分して半分を一般兵団に配属させて歩兵戦力の向上をはかった。従って、敵の機甲部隊の編成装備を総合的にみても、敵が極度に機械化され、ほとんど歩兵の存するところ必ず戦車あり、自動車ありという状況が注目される。(引用おしまい)
まずは物量の差が吐露されました。歩兵の生命を尊重するアメリカと軽視する日本の差でしょう。民主主義と軍国主義の体制の違いと言ってもいい。国民の生命が失われ過ぎれば選挙で落とされるのが米国の政治家、1銭5厘の赤紙経費で乱耗しても一向構わないのが大日本帝国です。
歩兵の進軍に機甲部隊がもれなく付いてくるのは心強いですね。ジャングルを自転車こぎ倒して移動する軍隊が、ガソリンじゃぶじゃぶ使って人命を尊ぶ連中に勝てるはずがありません。
この項、続きます