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2014/11/19

高倉健の戦後(1)

俳優の高倉健さんは、敗戦時14歳。戦争体験がその人生に影響を与えていないはずがありません。
健さんは出演作品にかかわる以外のメディア露出を控えてきたので、あまり知られていないのかもしれませんが、そこはやはり戦中派。探してみると、庶民感覚での戦争への言及がありました。
健さんが中国の雑誌のインタビューに答えた内容を、1986年7月26日付の朝日新聞「『残留孤児の映画を』 健さん、中国で語る」が紹介しています。以下に引用します。
(前略)親族や友人を捜すために中国から日本に戻ってきた孤児たちは、たとえ肉親が見つかったとしても、必ずしもその時から幸福になるわけではないと私はつねづね観じている。孤児たちはみな中国で生まれ、中国の養父母に育てられ、結婚して子供もでき、中国のすべてに幸せを持っている。豊かな物質社会に戻るのが幸福といえるのか。
人間の幸福は血縁関係によって決まるものではない。
本当の幸せとは生活をともにする中で多くの苦しみや喜びを味わいながら築かれていくものだ。だから私は、孤児が中国で成長し、帰国したあと、日本での生活体験を通じ、「自分の幸せはやはり生まれ育った所にあるのではないか」と最終的に思うようになる――こんなストーリーの映画を撮ってみたい。(引用おしまい)
 戦争被害者への視線が優しいですね。だから戦争はいかんのだと、銀幕で振るったダンビラみたいに大上段に構えない。でも、説得力があります。
遺作となった「あなたへ」で、健さんは大滝秀治と共演していますが、大滝の「久しぶりにきれいな海を見た」というセリフに感銘を受けた旨を語っています。
東日本大震災後の2012年1月30日付の朝日新聞のインタビュー記事「生きていくとは、何と切ないのか」から引用します。
(前略)「中学生で敗戦を体験しました。『日本が負けることがあるのか』と思った。人生には思いもかけないことが起こる。震災もそう。生きていくとは、何と切ないのか。大滝さんの『久しぶりにきれいな海を見た』ですよ。生きていなければその風景を見ることが出来ない。この言葉の中にすべてが入っている」(引用おしまい)
戦争を体験し、80歳を過ぎて、死を意識した人間ならではの言葉でしょうか。俳優・高倉健の戦後とはいかなるものであったのでしょうね。この項、続きます