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2014/09/25

村岡花子の人物像(1)

毎朝ドラマ寄席もあとわずかです。コント「脳社長とミポリン」をお楽しみ下さい。

脳社長: いや、おわびしなきゃいけないですね。実は、台本読めてないんですよ。
ミホ: ひどすぎます! 読めもせずに受けただなんて許せないわ!
花子:ちょっと、ミホ!
ミホ:ミホはこの脚本、命がけで執筆したんですよ! それなのに読めてない?  脚本にもミホにも失礼です!
花子:ミホ、お客様に何を言うの。
ミホ:お花様、こんな心ないニセ役者が出てるドラマに大切な脚本を!
花子:ちょっと! いい加減になさい!
ミホ:でもお花様。
花子:脳社長、申し訳ありません。このように、局のしつけがなっておりませんで。

ホント、局のしつけがなってません。読む読まぬ、出す出さないは出版社の勝手。命がけで書いた脚本だって、クズだゴミだと判定するのもお客様の自由です。ミポリンは、そこがわかってない。だから、その後に花子と美里が社長をなじる場面を入れて、さらなる茶の間のヒンシュクを買うのです。前の日に戦争は不幸に導く現実だとか言ってたじゃんね。毎回身内の不幸ばかり言いつのってないで、戦後の脳社長の不幸も察してくりょう。
それにしても、「ごちそうさん」の一大爆笑アクター東出昌大さんを凌駕する最終兵器・茂木健一郎さんを投下してまで、カタストロフィの終幕へ突っ走る「花子」はすごいズラ。
マトモな劇なら、セリフがまったく入っていない茂木さん登場に激怒するかもしれませんが、こちとら、もはやマジメに筋を追う気が失せているから、朝から大笑いさせてもらいましたよ。なぜ「ごちそうさん」と張り合う?
さて、実際の村岡花子がいかなる人物で、それをドラマがどれだけすくい取れたのか、検証しておきましょうか。1955年6月6日の朝日新聞「著者を描く 村岡花子」から引用します。筆者は当時の文芸担当記者だと思われます。
しばらく前、小川未明(注・児童文学作家)の全集出版記念会のとき、村岡花子がひょっこりやってきた。首をかしげた向きもあったようだが、彼女もレッキとした童話作家なのだ、と、そんなことをあらためて思い出させた。
彼女は、いまの20代には、ラジオ「子供の新聞」の村岡オバサンとして記憶されている。昭和7年から、太平洋戦争の始まった年の16年の末まで、10年間、NHKで働いていた。「サヨウナラ」というあの独特のアクセントを覚えている人も多いだろう。また、戦後にかけては「人生相談」の担当者でもあった。こういう経歴だけ聞いてゴメンこうむりたくなる人も、彼女の翻訳を一、二のぞけばその文章力の巧みなことにオヤと思うだろう。マーク・トウェンの「王子と乞食」オルツィ夫人の「べにはこべ」クロフォードの「王女物語」シュルツ女史の「ジェーンの手紙」などの翻訳は、読みやすさの点でも推奨できる。名文家といえよう。
明治28年に、東洋英和女学院の高等科を卒業し、その分校のような生地山梨の女学校に職を奉じていた。そのとき、カナダ人の校長の秘書をして、5年生から排斥を受けたりもした。結婚したのは大正8年、夫の生家は、横浜に福音印刷会社を営んでいた。つまり、キリスト教の環境で育ってきたのだ。とはいえ、戦争中も別に迫害などされず、昭和17年ごろには「国民総常会」などで、アパートで、妊産婦を断るのはけしからん、と取締(ママ)を要求したり、結婚相談所をひらいたりして、元気がよかった。理屈は後回しで働くことの好きなおばさんなのだ。(引用おしまい)
ドラマですから、作家に創作の自由が保障されている点は断っておきます。しかし、リアル花子の人生を語るに外せないポイントを押さえておくのは絶対に必要ズラ。
ラジオのおばさんが「ラジオのおばかさん」でしかなかったことが残念です。何事にも受け身だったフェイク花子には、電波の先にいる聴視者たるこどもたちへの愛情が感じられなかった。動機もなく、仕事への義務感も届かなかった。
翻訳家として多数の名作を手がけた英語のプロであり、国語の名文家だった。その素地はどの回でつくられた?
カナダ人の校長がいる女学院の分校はどこへ?  紅毛碧眼には見えぬマキタスポーツが校長やってた学校はあったけどね。キリスト教徒のリアル花子は、迫害受けても信仰を捨てなかった。このエピソードは重要ですね。夫もキリスト教徒。結婚する動機のひとつです。
信仰の環境に裏打ちされたであろう平等博愛の精神が、妊婦保護などの行動につながったと考えるのが妥当でしょう。
イエスの教えのかけらもないフェイクの方は、ひたすら「時代の波」に流されていました。その波も、時代をあちこち省略したおかげで、いずこから押し寄せたものか、ついにわからず。物事の責任を全部時代におっかぶせるなら、人間ドラマなんか要りません。寝転んで中学社会科の年表でもながめていればよろしい。
フェイク花子が「理屈は後回しで働くことの好きなおばさん」だったら、きっと面白い作品になっていたでしょうね。屁理屈が先に立って働くことが後回しな主人公では、視聴者は付いてきませんよ。この項、続きます