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2014/09/22

役人を英雄に祭り上げるの愚

昨日の記事で後藤新平に触れたら、NHKBSで放送した「英雄たちの選択・後藤新平」を録画したまま未見だったことに気づきました。いや、コレが近年稀に見るスカタン歴史バラエティだった〜。
内務官僚上がりの後藤を「英雄」と呼ぶのは無理があるなあ、といぶかりながらリモコン操作すると、まずアバンタイトルがすごいんです。関東大震災からの東京復興に全てを捧げる後藤が、大正デモクラシーを背景にのし上がった政党政治家たちの妨害に遭いながら、理想と現実の狭間に立ち悩み、都市再生を成し遂げる前提が説明されます。レッドツェッペリン(Led Zeppelin)の勇壮な音楽がガンガン流れ、だれも後藤の方向性に盾突けないムードいっぱいで番組が始まりました。
後藤が災害から市民を守る帝都の街づくりに国家予算の半額を計上したところ、政治家の猛反発を食らい、減額を余儀無くされます。番組中、地元選挙区に鉄道を引きたい議員たちの利権意識のせいだと説明されます。
アホかいな。今いきなり、東北の復興に国のカネの半分使ったら、財政は破たんします。反対派に政友会の高橋是清が名を連ねていますが、高橋は日露戦争の戦費獲得のため、海外を奔走した張本人。膨大な額の外債償還が済みもしない内に、じゃんじゃん国庫からカネが出ていったらたまったものではありません。役人という生き物は最大限の予算をほしがり、それを全部使いたがる。まして後藤は「大風呂敷」とまで呼ばれた、カネ食い虫の官僚政治家なのです。
挿入されるアニメでの独白も、実際に本人が口にしたものか創作かわかりません。震災とは直接関係のない、後日の集中豪雨時の映像(冠水した道路の荷車。同年9月か10月の大雨と推定)を加えてまで、なぜに防災都市東京建設への理想を美化せんか?
番組最大の失敗は、帝都復興物語が、後藤の「一将功成って万骨枯る」形に集約されてしまったこと。東京の再建を語るに欠かせぬ人物が外されています。財界の大立者・渋沢栄一です。
渋沢は後藤の依願で復興に力を尽くします。後藤としては財界へのパイプ、簡単に言えば金づるがほしかったんでしょうね。この時、渋沢86歳。都市整備一辺倒だった後藤と違い、港湾設備の充実を説くなど、将来の東京市の経済までをにらんだ提言を行いました。
関東大震災直後、後藤と渋沢との人物の差が表れた新聞記事を紹介します。1923年9月28日の東京朝日新聞「俺は商人ぢゃ 後藤内相蹴らる」から引用します。仮名遣いや句読点など、おじさんが現代風に直しています。
話は少し古いが後藤(新平)内相が帝都復興審議会の委員に推薦するため渋沢(栄一)子爵を首相官邸に招致し、「この際、官民合同の審議会を組織し、大臣待遇とし、貴下を民間実業家代表の一人として推薦する」と高飛車に申し渡した。渋沢子爵、ありがたくお受けするかと思いきや、平素のエビス顔をプリプリと緊縮して、「ドーモこの顔ぶれでは何だか政治的団体のように思われる。渋沢は86歳の今日まで商人で押し通しているから、大臣待遇も今さら感心せぬ」ときっぱりはねつけた。
後藤内相、卿が勝手が違って「それならやむを得ぬ。子爵のお名前だけでも列しておきないものです」と下手に出たが、「お名前だけとは怪しからぬ。この大震災の善後対策を真面目に講ぜねばならぬ機関がいたずらに形式に流れるとは実に驚き入った。役人のすることは万事これだから、万事成功しない」。そこで帰ろうとする。
すっかり面食らった後藤子、玄関口まで追いかけて失言を取り消し、改めて三拝してようやく承諾を求むる事になったそうな。(引用おしまい)
 歴史上の人間ドラマを描く際に主役と脇役をはき違えると、そのドラマは破たんします。武蔵と小次郎の扱いを誤ってグダグダにするようなものです。「英雄たちの選択・後藤新平」は、武蔵不在の巌流島で小次郎が延々空太刀を振るう様を茶の間に見せつけるような、ダメダメプログラムに終わりました。英雄の選択を間違えましたね。