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2014/08/21

前略、なかにし礼さま

7月10日の毎日新聞夕刊に掲載された反戦詩を拝読いたしました。
集団的自衛権行使反対の末席に座する者として、ご意思に共感するものであります。しかしながら無礼は承知の上で、御作への大きな不満を申し述べさせていただきたく筆をとりました。
釈然としないのは以下のくだりです。
「たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ」
国家は確かに強大な力を有しています。けれど、まだ今のところ主権は国民にあるのです。国家は我々の下位に存在しています。その大事を忘れた若者が、権力の前に萎縮するようでは、いよいよ日本に未来はありません。私は「たかが国家ごときが、俺の人生にかまわないでくれ」と言えるよう、若い人たちに訴えたいのです。
「公僕」という言葉を、最近では耳にしなくなりました。この言葉を改めて考えてみたいのです。
政官が主導したあげくのみじめな敗戦3カ月後の1945年11月13日に開かれた、戦後初の警視庁署長会議は、その反省に満ちていました。高野源進新総監の訓示を、翌14日の朝日新聞「国民の公僕たれ 初の署長会議に訓示」から引用します。仮名遣いは現代式に改めています。
警察官はあくまで公僕の観念に徹し、社会公共の障害を排除して民衆を保護するという警察本来の任務に邁進せねばならぬ。戦時中付与された広汎な職務と権限に伴う従来の余弊を一掃、真に公安を害する事犯の予防取り締まりに専心して不当に国民の自由を束縛、いやしくも民衆の不満と怨恨を買うがごときことがあってはならぬ。
また犯罪の検挙に当たってはよく人権を尊重すべきで、いたずらに検挙数の多きを誇るべき時代ではない。警察官はまず善良優秀な市民たらねばならぬ。立派な公民たりえないで公僕たる資格はない。今後の警察はあくまで親切丁寧に、規則づくめの取り締まりの弊を打破せよ。
民衆の利便のためには届け出や受付のごときもなるべく口頭で足りるようにせよ。常に管内をくまなく視察。直接目で見、耳で聴いて民衆生活の実相に触れ、罪を犯す者を無くする予防警察一段の努力が望ましい。(引用おしまい)
文中の 「警察官」を、「国会議員」や「官僚」に置き換えてみると、当時の新生民主国家への再誕理念に逆行する、現在の異常な民不在状況がわかろうかというものです。
主権者が油断をすると、せっかくの幸福になる権利がなだれを打つように失われてしまいます。国民の権利自由は国の利害に優先する意識のいっそうの啓蒙をお願い申し上げます。
いつまでもお健やかに、戦争を知らない私たちが、いつまでも戦争を知らずに済むよう、そのお声をお聞かせ下さい。
ヒット曲「知りたくないの」を、今の日本の雰囲気に合わせて戯れ歌としてみました。

お国の過去など
知りたくないの
済んでしまったことは
仕方ないじゃないの
あの戦のことは
忘れてほしい
たとえ主権者が
きいても言わないで

あなたの愛国が真実なら
ただ権力は
うれしいの
ああ 愛国だから
知りたくないの
早く昔の戦を
忘れてほしいの