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2014/08/07

道徳教育と愛国狂育

おじさんがこどものころには、道徳の授業がありました。嫌いなうえに、成績も悪かった教科って、普通は大人になると忘れるものですが、教科書に載っていたお話で唯一記憶しているのがあります。

少年野球チーム四番打者のスラッガーはその試合、絶不調。好機に回ってきた打席で監督から送りバントを指示されます。ところがそこへ絶好球。逆転決勝の二塁打を放ちます。試合後、得意満面の少年は監督にしかられました。自分本位にならずチームを第一に考えろ。バントをしなかった少年は我に返り、チームの勝利という目的を忘れた自分を恥じたのでした。

昔読んだきりなので細部が間違ってるかもしれないけど、大筋こんな話。公のためには個を殺せってか。戦後ずいぶん経っていたのに、学費むしり取って、いたいけな小学生にヨタ吹き込みやがって。
国の道徳教育とはこうしたものです。望まれるのは第二のイチローでも王貞治でもない、送りバント製造機の大量生産です。曲解されぬように付け加えとくと、送りバントは野球の立派な戦術の一つです。比喩だからね。
さて、道徳の時間は戦前には「修身」と呼ばれました。戦時中の教科書の中身を、1943年12月17日の朝日新聞「皇国史観の確立へ 修身に山本元帥や市原(通)博士」から引用します。身の毛がよだつよ。仮名遣いや改行など、おじさんがいじっています。太字挿入はおじさんによります。
来年から使う中等学校国定教科書のうち修身、歴史(ともに1、2学年用)の原案が16日、文部省で開かれた教科書用図書調査会総会できまった。
(中略)【修身】男子中等学校だけで使う1、2学年用である、神勅聖訓の上に立つ正しい皇国民道は、承詔必謹(注・天子の言葉はかしこまって承りなさい)、臣道実践に極まる国民道徳の体得と、逞しい(たくましい)実践にあり、という一貫した力強い編纂方針が取られた。今までの「克己」や「孝行」といった徳目で教えられた方針、「二宮尊徳」とか「楠公」とか人物中心で進められた方針は一切過去のものとなり、表現もできるだけ具体的に印象的に改められた。
修身を堅苦しい教訓の時間とするのは昔のこと、新しい修身は教室生活における感激の時間なのだ。巻一は「皇国の使命」から「平素の訓練」にいたる12課、巻二は「皇国の道」から「国家総力戦」にいたる12課で、1カ月1課習得の目標で決戦下少国民としての信念、徳操、識見の昂揚に資するのである。
登場人物も藤田雄蔵中佐(注・飛行距離記録達成者)、山本(五十六)元帥、市原通敏博士(注・自動車バネ研究者)など大東亜戦争以来国民の身近な人々が現れ、一方新教材として航研機の成功、島津藩一致の事歴、郷中組織などもとり入れられた。(引用おしまい)
 長くなるから、時歴や郷中組織など鹿児島関連、航研機の説明は省きます。興味がある人は調べてみよう。
自分の周りの克己・孝行もなくなって、国のために死ぬ思想教育に全面改訂。名前の挙がっている人たちは、いずれも戦争や事故で「お国のために」死んだメンバーです。若いみんなにもリッパに死んでほしかったんだね。
だいたい、道徳なんて国に教えてもらうものじゃありません。親がこどもを愛していたら、大人がこどもを好きだったら、自ら教えるものです。こどもが親を信頼していたら自然と学ぶもの。義務化?冗談じゃない。
毎日暑いんだから、そんな時間があればプールで泳いでた方が人生よっぽど有意義。道徳道徳と連呼する政治家や官僚がいたら、プールに叩き込んで一緒に泳いであげよう。少しは頭も冷えるし、みんなの元気な笑顔を見たら、国より大事なものに気づくかもしれません。
「感激の時間」とは、そういうものです。