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2014/07/27

興亜の雄たけびはアジア5億の大迷惑(2)

前項からの続きです
フィリピンの元日本兵ゲリラ狩り宣言は幾度も出され、日本政府の無能無策無力もそのまま。戦争とは、勝ち負けが決まった瞬間にすべてが清算されるものではありません。
1954年4月3日の朝日新聞にフィリピンに父親を送った娘の必死の投稿を見つけました。おじさん、涙無くして読めません。「日本兵の討伐」から引用します。投稿者の名前は省いてあります。
(前略)私の父は戦争中フィリピンに出征したまま消息を絶った大勢の日本軍人の中の一人です。帰還の船の一隻ごとに、こんどか、こんどか、と待ちこがれているうちに送還は終わった。それでもどこかに生きているのではないかと、はかない望みも捨てないでいるうちに、行方不明のため戦死と認定するという通知と遺骨のない骨箱を渡されて、それきり戸籍も死者の中に入れられました。あれから10年、その後に死んだかも知れぬ年輩ですのに、いまだに家族のものは、もしやどこかにという気持ちでおります。また新聞などにフィリピンの山中に敗残の日本兵がいるなどという記事がのると、身につまされて思いをはせたものです。その人たちをこんど討伐するという話ですが、何とかならないものでしょうか。生きているとあれば、何も知らぬとはいいながら、彼らをあやまらせたまま死なせたくはありません。(中略)せめて一度でも真実を知らしめる機会を与えて下すったら、私は、いいえ家族のものは血書も書きましょう。自分の身もなげうちます。彼らのしたことのつぐないも、いくらかなりとも一生懸命にいたします。私は、老いたる父がもし山中に生きていたら、討伐される前に真実を知らせ、改めさせ、でき得れば平和な世界を作るための仕事に参加させてやりたいと思います。私のこの願いは、どこかに届かぬものでしょうか。(引用おしまい)
おじさんは戦争を知らない世代ですが、怒りもあるだろうに、父親の救命を思い、言葉を選び選び、便せんに懇願の筆を刻む女性の一文に、もうね、こんなこと二度とやらかしてはならないと痛感します。
「国益」って何よ?自衛官を含めた国民の一人ひとりが毎日笑って家族と暮らせるのが国益じゃないのよ、と戦争を知らない総理大臣に言いたくなります。
この項、さらに続きます