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2014/07/06

軍神西住大尉の「罪」

戦時中は国民の戦意高揚のため、戦死者の中から軍中枢が選んだ「軍神」がつくられました。こどもたち(昔は少国民と呼ばれました)の愛国心をあおり、将来は君たちも国のために死ねと洗脳する軍国教育です。昭和の軍神第一号は、中国戦線で死亡した戦車兵、西住小次郎中尉(注・死後大尉昇進)。陸軍は西住乗車の戦車をわざわざ大陸から本土へ引き揚げ、宣伝材料にします。
今日は、西住軍神化による軍とメディアのプロパガンダがいかにバカげたものだったかを検証します。19381224日の東京朝日新聞「軍神ここに座す 1100余の弾痕 西住大尉愛乗の戦車」から引用します。

(前略)大尉の戦死後間もなくこの戦車は戦闘続行に堪へないほどは損したため遂に内地に送還されることになつたが、部隊の将士は故大尉の忠魂永く止まるこの戦車を手離す(ママ)ことはいつかな送還を肯んぜず当局を当惑させたといふ涙のエピソードも生れた(ママ)。今後もこの車体の処分については現在のまま永く国民教育の資料として保存したいとの有力な意見も生れる一方、一刻も早く修理を完成させた上再びこれを部隊の先頭に立て軍神の霊の導くままに奮戦したいといふ第一線将兵の熱烈な希望も無視することが出来ず、陸軍当局では引つ張り凧となった軍神の戦車をめぐつてなほ慎重協議を進めてゐる。(引用おしまい)

本文からは省略しましたが、錆だらけで千カ所を超える弾痕のある戦車です。こんな代物を直してまで乗りたがる前線兵士がどこにいるでしょうか?ねつ造に決まっています。
西住の車は八九式中戦車といって装甲が薄く、中国国民軍がチェコやイタリアから買った機関銃砲の弾がほいほい貫通したそうですから、乗員にとっては白木の棺桶と同じですね。でも、軍神が乗った棺桶です。日本の兵器製造技術の未熟をおいても、西住軍神化が陸軍の戦車開発において歩兵支援程度の、乗員の安全性を無視した低レベルな戦車開発戦略からの脱却を邪魔したのではないかと、おじさんは疑っています。敗戦まで日本の戦車は、対戦車戦を無視した弱武装、弱装甲の乗員の生命軽視が続きました。
西住と同じ伝説的人物に加藤建夫がいます。加藤隼戦闘隊として知られています。陸軍戦闘機・一式戦隼は大戦後期、とっくに型遅れになっていたにもかかわらず、敗戦まで生産が続けられました。
「加藤隼戦闘隊」は戦中、藤田進主演で映画化されました。西住も上原謙が映画で演じています。当時の戦況下で英雄の愛機を、戦闘員保護のために生産中止にする勇気が軍部にあったでしょうか?
戦争は本当にくだらないです。集団的自衛権行使によって、「アフリカ東岸自衛隊◯◯掃海艇隊」のような映画がつくられないことを願います。