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2014/06/21

勝海舟は殺人狂?

インターネットには、たくさんの情報がはんらんしています。正しいもの、間違ったもの、わざと誤ったことを書いているものもあります。歴史のブログを書いているおじさんは、なるべく情報の出どころ(source)を明記して、内容の信ぴょう性を高めるように努めていますが、歴史の記録の中には出どころ自体が大変怪しいものが、いっぱい存在しています。
1907年に剣客の千葉一胤(ちば・かずたね)が、幕末に勤皇の志士たちをかくまった功績により、正五位の栄典を授与されました。「千葉重太郎」の名前で司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」にも登場する有名人です。この年の6月15日の東京朝日新聞に、授与に関連して一胤のエピソードが並べられていますが、にわかに信じがたい物件が交じっていました。「海舟の短慮を諫む(いさむ)」から引用します。


文久元年も一日となりし除夜の12時頃、海舟は大声(注・声を挙げつつ)門前より氏(注・一胤)を訪れ来たりて曰く、今岡本太郎方を訪れたら岡本夫婦は余に対して、先生の今の境遇は翌日の雑煮の支度も如何(いかん)と思ふ。失礼であるが、御不自由なら餅を分与すると云ふから、実はまだ的(あて)がないからと露骨に云つたら、そんなら差し上げやうと、餅と里芋を風呂敷に包んでくれたのは好い(いい)が、歩き出すとコトンコトンと音がするので気をつけて見ると、風呂敷の破れから芋が転げ出るのである。此所(ここ)に来るまでに殆ど(ほとんど)落としてしまつた。同じくれるなら、穴のあかぬ風呂敷をくれたら好からうに(よかろうに)、畢竟(ひっきょう、注・結局)僕の落魄(らくはく、注・落ちぶれること)を侮つた仕打(ママ)と思ふと憤懣に堪へぬから、寧そ(いっそ)彼ら夫婦を斬つてやらうと引返して(ママ)見たが、又取直して先生に相談に来た、と聞きたる一胤氏は、大に(おおいに)短慮を諫め、岡本夫婦の心切(しんせつ)なるを諭し、兎に角(とにかく)之れにて元日の祝(いわい)を済ませと懇々(こんこん)の諭しに、海舟も怒りを解きて帰れりと云ふ。(引用おしまい)

餅と芋をくれた親切な夫婦を逆恨みした勝海舟が、恩人を斬殺しに行くのを千葉が止めた、というお話。人斬り以蔵ならぬ、人斬り海舟。中身が怪しくて仕方がないので、調べてみました。
文久元年、勝は幕府の講武所砲術師範に任じられています。今でいえば、防衛大学校の教授が「正月だし、これから二人ばかりぶっ殺してくるわ」と放言するようなもの。前年米国に渡り米国文化を見ている勝が、皇女和宮が江戸入りしたばかりの激動期につまらない刃傷沙汰を起こそうはずがありません。だれが言ったのか、新聞記事には説明がありません。
千葉と勝が不仲であり千葉側が故意に創作した、生前の勝をよく思わぬ新聞記者がねつ造した等々、推測できますが、掲載時には千葉・勝ともに亡く結果、非常にうさんくさい記事に仕上がってしまいました。後世の歴史検証におけるノイズの一例です。
みんなもネット情報を扱う時には、十分に気をつけてください。特に情報の出どころが書いてないお話は、うそである可能性が高いです。おじさんも、誤りを書かないように注意します。