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2014/06/29

関東大震災と情報の選択

関東大震災を東京で経験した漫画記者の太田政之助が、震災後わずかな期間をおいて出版したペン画集「避難から帰還迄(まで)」は、その画力も素晴らしいのですが、震災の現場体験コラムが貴重な一冊です。独立行政法人「防災科学技術研究所」のウェブサイトにPDF形式で公開されているから、みんなもぜひ読んでみてね。
歴史、防災の両面からとても興味深い史料ですが、作中太田が驚いたのが朝鮮人暴動のデマが広がるその早さ。震災直後から、在日朝鮮人たちの中に爆弾を爆発させたり井戸に毒を入れたりするテロ集団が現れたとのうわさが流れました。これがあっという間に全国規模で広がって、「自警団」と称する民間人が、被災地の朝鮮人や朝鮮人だと間違えられた人たちを虐殺したという事件がありました。
太田の本にも、上野東照宮前交番広場で警察官が自警団からおびただしい数の鉄棒、竹やり、日本刀などを没収している絵が掲載されていて、当時の殺伐とした空気が伝わってきます。
震災発生2日後の1923年9月3日大阪朝日新聞号外に「目黒と工廠の火薬爆発」という記事が載ります。東京朝日新聞の早川社員が、甲府からの特電として書いた記事を引用します。

朝鮮人の暴徒が起こって横浜、神奈川を経て八王子に向かって盛んに火を放ちつつあるのを見た。(引用おしまい)

暴徒化した朝鮮人グループが放火を繰り返しているのを朝日の社員が「見た」と言っています。横浜から八王子への広域テロだとすれば、相当な人数のはず。事実なら記録に残っていものですが、信用できる史料はあるのでしょうか。
続いて1923年9月4日同夕刊「各地でも警戒されたし 警保局から各所へ無電」から引用します。


神戸に於ける(おける)某無線電信で3日傍受したところによると、内務相警保局では朝鮮総督府、呉、佐世保両鎮守府並(ならび)に舞鶴要港部司令官宛にて目下東京市内に於ける大混乱状態に付け込み、不逞(ふてい)鮮人の一部は随所に蜂起せんとの模様あり。中には爆弾を持って市内を密行し、又石油缶を持ち運び混雑に紛れて大建築物に放火せんとするの模様あり。東京市内に於て(ママ)は極力警戒中であるが各地に於ても厳戒せられたしとあった。(引用おしまい)

当時無電を使える人や組織は限られているので、いたずらだとは考えにくい。本当に内務省が打電したのか、センセーショナリズムに染まった朝日新聞がねつ造したか。前者であれば未確認情報を民間の傍受可能な形で通知したのは軽挙のそしりは免れません。後者なら間接的に大勢の人命を奪った罪は言語道断。甲府の一件があるので、疑いが残ります。
報道を控える選択肢もありました。各地から救援物資や人の流入があったことを思えば、確認作業を怠り結果を考えなかった朝日新聞の報道姿勢が、デマの拡大に加担したのは間違いないところでしょう。
マスコミが暴走したら個人の人権など簡単にじゅうりんされるのは、ちょうど20年前に起きた松本サリン事件で、無実の第一通報者が犯人扱いを受けた一件でも明らかです。
現在の日本は言論の自由が保障されています。ネットも含めいろんな情報や意見があふれてます。何でも鵜呑みにしないで、どれが正しいのか取捨選択できる大人になろうね。おじさんら大人にも言えることです。